去年に引き続いて今年も、文学フリマ大阪に参加してきた。
出店数も来場者数も過去最高を記録し、会場は閉場のアナウンスがあるまで盛況であった。
今回は、新刊を1冊刷ってきた。
かつて工場で一緒に働いてきた同僚のYにふりかかるいざこざをまとめた本である。
『泥沼』と題されたその本は74ページで、さらにカラー口絵4ページも付け加えたため、原価はかなり高くなっている。
それを30冊刷ってきた。
およそ35,000円にのぼる印刷代に、6,000円の出店料を上乗せすると、販売価格は1,400円以上に設定しないと、元は取れない計算であるが、当日は出血大サービスの700円で販売した。
たとえ僕の拙作が優れていたとしても、名も無き個人サークルの、1,400円のする高額な同人誌には、誰も購入しようとは思わない。
よほど有名な作家さんが在籍する大きなサークルで、まとまった数の固定ファンの来店が見込めない限り、1,000円以上の価格設定に踏み切れない。
なので、手に取りやすさを重視して、価格を700円にさせていただいた。
他にも既刊が『のんき者の手紙』と『Mの踏み倒し』の2作品もブースに並べ、計3作品を販売することにした。
このうち、『Mの踏み倒し』の在庫はたった4冊と僅少であった。
これは去年の文学フリマ大阪の新刊で、友達が買ってくれた分を除けば、20冊も売れた作品である。
前回では広く行き渡った分、今回の文学フリマで完売も十分期待できる。
もしかしたら、新刊よりも求める声が多いかもしれない。
なので、あらかじめXで在庫僅少であることを告知しておいた。
今年はブースに、サインホルダーを2つ用意した、
これは一見すると何度も折り曲げてある透明なアクリル板にすぎないが、折り曲げた箇所にA4用紙を挟み込んで机に置くだけで、立派な看板に早変わりする便利な商品なのだ。
去年の文学フリマで、無名かつ初出店にもかかわらず、どうして20冊も売り上げられたかというと、POPがかなり集客に貢献したからである。
初参加の文学フリマでは、ブース設営の勝手が分からず、とりあえずほA4のホワイトボードに水性ペンで、新刊だった『Mの踏み倒し』の紹介文を汚い字で書き殴り、書見台に立てかけてみた。
その時は、ホワイトボードのスペースが狭かったため、新刊の広告しか書けなかった。
それから、その日の販売冊数はどうなったかというと、新刊は20冊売れたが、既刊は0冊であった。
この結果を見て、僕は広告業界がどうして儲かるのかが理解することができた。
商品としては二流三流であっても、広告会社に多大な宣伝費を支払って、芸能人が出演しているキャッチーな広告を、テレビやネットに載せてしまえば、人々はこぞってその商品を買いあさる。
宣伝費を全くかけていない一流品には、目もくれない。
せいぜい、本物の価値を知る一部の好事家だけが、一流品に辿り着ける。
それと同じで、文学フリマのような同人誌の即売会にあっては、まずはPOPが肝要である。
POPはわかりやすく、人の目を引きつけられるものであればあるほど、通りゆく人々に手に取ってもらえる可能性は高くなる。
逆に全く宣伝がなければ、お客さんは素通りする。
情報が不足しすぎているので、自分の欲しいものかどうか分からないからだ。
POPの有無で販売冊数において明暗が分かれた前回の文学フリマの反省を踏まえた上でのサインホルダーである。
ブースの設営が終わるとまもなく、一般者入場の時刻を迎えた。
ブースの島と島の間をお客さんが埋め尽くし、視線を長机の同人誌の上に落としながら、どんどん歩いて行く。
気になる作品が見つかれば、本を手に取り、パラパラと頁をめくり、気に入れば買っていく。
自分のブースで黙って座っている僕は、やきもきしながら、お客さんの動きを観察しているだけである。
お客さんはどんどん僕のブースの前を通り過ぎていく。
POPは目に入っているはずである。
けれども、お客さんは眉一つ動かさず、通り過ぎていくばかりである。
なぜだろう? 面白くなかったのだろうか? このまま1冊も売れなかったらどうしよう?
思った以上に売れず、時間ばかりが過ぎていく。
しだいに胃のあたりがキリキリと締め付けられる。
そのうち、あるお客さんが僕のブースに立ち止まって、既刊を購入してくれた。
お客さん曰く、去年の文学フリマでも買ってくれたという。
読み応えがあるというお褒めの言葉を授かり、心に埋め尽くしていた霧が晴れ渡るかのようであった。
それからぽつぽつと僕の本を買い求めるお客さんが現れた。
全ての本にPOPを用意したおかげで、前回とは打って変わって、新刊も既刊も満遍なく売れた。
それから16時になろうとする頃から、お客さんの足が遠のいていき、待ちぼうけの時間となった。
その折りに、僕はブースを一旦抜けて、お客さんになったつもりでブースの島と島との間を歩いてみる。
お客さんの目線は果たしてどういったものなのか、実際に体験してみたかったのだ。
分かったことは、めまいがするほどたたき込まれる膨大な情報量であった。
ブースとブースの間の通路は狭く、そこを多くの人が行き交う状況にあっては、自身が迷惑になる存在にならないよう気遣いを働かせれば、じっくりと1つ1つのブースの出し物を吟味しながら、のんびりと立ち止まってはいられない。
本当に目当てのブースを発見しないうちは、一定の速度を保って進んでいかねばならない。
2つのブースに割り当てられる長机の長さは約1.8m、それが15脚並べたのが、ブースの島の長さとなる(もちろん、壁際のサークルなどはその限りではない)。
単純に計算すると27mになるが、それだけの距離を歩き通そうとすると、どんなに遅く歩いても、おそらく3分はかからない。
そして、その距離の間には、片側だけでも約30ものブースが軒を連ねており、さらにそのようなブースの島自体が10以上ある。
もちろん、お客さんの予算も無尽蔵にあるわけではない。
せいぜい、多くても1万円ではないだろうか?
計算しやすいように、お客さんの予算を1万4000円とし、1つのブースで700円の本を1冊販売していると仮定すると、お客さんが本を購入するために立ち寄ったブースの数は20となる。
1万4000円は、予算にしてはかなり多めな数値に設定してしまったが、それでも数百あるブースからたった20しか回れないのだ。
貴重なお金を、めぼしい本に費やしたい。
自然、財布の紐がきつく縛られる。
そうなると購入の決め手となるのは、情報である。
来場する前に、事前にwebカタログをチェックして、お目当ての作品を見繕っておく。
そうでなければ、その時々の偶然にまかせて目についた展示物のあるブースの作品を購入するだろう。
先ほど述べたように、30m弱の距離の間に、両側で60ものブースがある。
単純に歩いてみるだけなら、1つのブースを見るのに費やすことのできる時間はわずか1秒足らずである。
その1秒足らずの瞬間で、お客さんの気を引くためには、やはり宣伝にひと工夫がいる。
その点において、作品の表紙が漫画のイラストだと、かなり強い。
文学フリマは、文字で表現された作品が大半であるが、一瞬間のうちにお客さんの気を引くためだけなら、文字よりイメージのほうが、印象に強く刷り込まれる分、手に取ってもらいやすい。
僕自身、お客さんになったつもりでブースを歩いた10分足らずのあの時間を、今になって振り返ってみると、思い出せるのはウルトラマンが表紙を飾った作品だけである。
それだけ、イラストがもたらす印象は強烈なのだ。
あいにく僕は、イラストに関してはからっきしできないなので、表紙は出版社のテンプレートの、いかにも抽象的といった感じのデザインしか用意できなかった(個人的には気に入っているが)。
もちろん、それだけでは中身が伝わりにくいので、買ってもらう動機付けとしては、効果が薄い。
なので、サインホルダーを用いたPOPを用意したのだが、お客さんになったつもりで歩いてみると、僕の自作のPOPはあまり出来がよくないと気づかされた。
あらすじを細かく詰め込みすぎて、じっくり読まないと理解できない仕組みになっていたのだ。
これでは瞬間的に一瞥するだけのお客さんの心を掴むことはできない。
次回からは、もっと短く、もっとキャッチーに表現すべきであろう。
こうして、なるたけ多く冊数を売りさばく工夫に頭を使ったのだが、考えている途中で無性に虚しくなった。
これが僕のしたかったことなのか、と。
身の上話を書いて、ブログに投稿し出したのは十数年前の大学生の頃だった。
その頃から書くこと自体が、書いて自分の胸の内を吐き出すこと自体が目的であり楽しみでもあり、その価値観は長年変わることなかった。
僕にとってブログというのは、対面では上手に伝えきれない本音や悩みを、周りの人たちに間接的に知ってもらうための道具でしかなかった。
そのため、知り合いしか読まないブログのアクセス数は、常に1桁台であったが、むしろそれが当たり前といった感じで、全く気にしなかった。
しかし、妙なことに、ブログの文章を同人誌に仕上げ、文学フリマに出店し、作品をお金と交換するようになると、むくむくと自己顕示欲なるものが頭をもたげてくる。
とにかく、多くの人に買ってもらいたい。
多くの人に面白かったと言ってもらいたい。
多くの人にSNSで感想を言ってもらいたい。
そして、他人のブースの売れ行きを間近に眺めて、心の内で一喜一憂する。
あるブースより売れ行きが良かったら嬉しくなり、また別のブースの売れ行きが僕のより数を凌いでいたら羨ましくなる。
自分だけの楽しみのうちに留まっていた間は、想像もできなかった俗気が湧き上がってきて、落ち着いていられない。
思えば大学時代の山岳部でもそうだった。
登山は、他のスポーツのように、勝敗を争う類いのスポーツではない。
だから、たとえ低山の日帰り登山でも、体験それ自体の価値が劣るわけではなく、本人が楽しんでいたらそれでいいのだが、周囲の部員からやれ冬山登山だ、やれ海外遠征だという話ばかりを耳にすると、否応がなく他人と自分を比較してしまい、自分自身がみじめに思えてくる。
まあ、同じ部活に入っていたのだから、成長のチャンスは等しくあったに違いないが、いろいろあって、あっけなく頓挫したわけであるが。
僕の経験則であるが、元々勝敗を決しなければならない訳でもない分野で、人に勝りたいとか、人より優れていたいとかいうような俗気が出てきたら、その分野から距離を置くのが健全である。
でなければ、よからぬ勘違いを起こして、周りの人に悪影響を与えかねない。
僕自身、当時は部活から離れて自宅に引きこもったり、大学のキャンパス内をひとりでぶらぶら歩き回っているうちに、うつ病から回復しなかったものの、自己顕示欲に苛まれることはなくなった。
そりゃそうだ。
比べる対象がいなかったのだから。
競争すること、切磋琢磨すること自体は悪いことではない。
しかし、努力でどうすることもできないまま、固執していても、心が腐るばかりである。
自分が勝手に腐るのは別に良いとしても、いずれそのフラストレーションを周りの人にぶつけて、害を及ぼすかもしれない。
勝てそうな勝負であれば、一所懸命に努力すればいい。
勝てる見込みがなければ、潔く身を引くのが吉である。
そうして、誰とも競争することのない自己表現の世界に身を置いて、長年満足していたが、ひょんなことから忘れていた嫌らしい感情を思い出してしまった。
文学フリマの翌日、僕はいつものランニングコースを走っていた。
ダイエットのつもりで走り始めたのは4カ月前、それから週に4日は14kmのコースを走っている。
おかげで体重は10kg減らせた。
最初のきっかけは、腹回りの贅肉をなくすことであったが、できることなら、このまま練習を続けてみて、いずれハーフマラソンやフルマラソンに挑戦してもいいのかもしれない。
先に述べたことから分かるとおり、僕は競争というのを好む質ではない。
だが、文学フリマの経験を経て、考えが少し変わってきた。
競争は嫌いだ。
それを避けるのは構わない。
しかし、誰彼と争う必要も無い場所で、人と比較して優越感に浸ったり、劣等感に苛まれるのであれば、むしろ、どっぷりと白黒はっきりつけられる勝負の世界に浸かったほうが健全なのではないか?
マラソンの優劣は、完全に数字で明確に決まる。
どんなに努力していても、関係ない。
タイムの数字で、客観的に決まるのだ
文学フリマのように、お客さんの好みや、宣伝のPOPなどのような曖昧な基準で優劣が定まるわけではない。
決するのは、自分の体力と走る能力だけ。
それ以上でも以下でもない。
だから、負けたとしても、記録が伸びなかったとしても、納得がいく。
反省点も掴みやすいので、次も頑張ろうという気にもなりやすい。
まあ、これからさらにむら気を起こして、そんな目標も放り出してしまうかもしれないが。
話を戻そう。
前回に続いて、文学フリマ大阪12でもたくさんのお客さんが来て、新刊・既刊合わせて16冊売ることができた。
それと同時に、同人誌にして売ることの虚しさも見えてきた。
たくさん売ることばかりに腐心するあまり、ともすれば書き始めた初心を見失いそうになる。
元来書くだけで満足していた執筆活動に、数字は無用である。
売上げやいいねの数、アクセス数ばかり囚われるようであれば、もうやめたほうがいい。
斎藤環の著作を読んで
斎藤環の本は『生き延びるためのラカン』と、現代思想2016年10月号『緊急特集 相模原障害者殺傷事件』に寄稿された『「日本教」的NIMBISMから遠く離れて』の、2つを持っている。
このたび友達に感想を依頼されて、まずは長らく積んだままにされていた前著を紐解いてみた。
だが、半分ほど読んだところで、昨日紛失してしまった。
文学フリマの会場か、電車の中か分からないが、そのせいで読破にはいたっていない。
本来なら読了して本の全体像を把握してからレビューを送るのが筋だろうが、こうなってしまった以上はすでに読んだとこだけでもレビューをするしかないと思って、今日連絡した次第である。
だが、手元に本がなければ、レビューを書こうにも書けたものじゃない。
どうしようかと思って、とりあえずネットで検索してみたら、『生き延びるためのラカン』の本文が掲載されているサイトを見つけたので、これ幸いとそのサイトを参考にしながら、なんとか書くことができている。
ジャック・ラカンはフランスの精神分析家で、フロイトの弟子である。
そして、彼の著作は難解で知られる。
斎藤環はそんな彼の教えを、「日本一わかりやすく」紹介するために書かれた本だ。
その謳い文句にたがわぬことなく、本文はラフな話し言葉で書かれていて、普段本を読まない読者にもとっつきやすい文体だと思われる。
しかし、ラカンの考えた諸概念の数々(象徴界・想像界・現実界、シニフィエ・シニフィアン、等々)は独創的であるがゆえに、一読しただけでは、僕の理解力の無さゆえに、いまいち実感が伴わなかった。
その中でも、それなりに理解できたのが、本書の序盤で語られている欲望についてだ。
動物は遺伝子レベルで先天的に組み込まれた「本能」と「欲求」に従って、餌を食べたり、繁殖したりしている。
彼らはそのための行動をわざわざ学ぶ必要はない。
一方、人間は教えてもらったり学習したりしなければ、それらの行動を習得することができない。
そのために人間は「言葉」を使って、後天的に学び、身につけていかなければならない。
そうして、言葉に根ざした学習の産物が「欲望」である。
「欲求」に突き動かされて行動する動物は、満たされればそれで満足する。
たとえば性行為についてだが、動物は定期的に来る発情期の本能に従って、異性と出会い性行為に及べば、それで満足する。
しかし、人間の場合、「欲求」と違い「欲望」というのは、決して満たされることがない。
人間は性行為に及んでも、その生理的満足は一瞬だけで、それからまもなく深い虚脱感、空虚感に襲われる。
斎藤の考えでは、この空虚感こそが、欲望本来の空虚感なのだ。
本質的な充足の不可能性、それが欲望の特徴である。
そして、叶うことのない充足に達しようという衝動こそが「嗜癖」という病理に結びつく。
それでは、その欲望はどこから来るのか?
僕たちの常識的な見方をすれば、欲望は自分の内面から、自分の心からやってくるものと思われる。
しかし、ラカンによれば、「欲望は他人の欲望である」ということなのだ。
他の言い回しを引用すれば、「欲望は、それを他人に認められることで初めて意味を持つ」というものもある。
たまごっちブーム、長蛇の列の飲食店、通販サイトの星の数とレビュー、サクラ。
そういうものを思い浮かべると、先に引用したラカンの言葉に実感が湧いてくるだろう。
それほど欲しくなかったものでも、周りの人間が欲しい欲しいと騒げば自分も欲しくなる。
そして、自分だけの欲しい理由は、誰にも説明できない。
商品やサービスの特徴にせよ、スペックの比較にせよ、価格にせよ。それは全部他人に共有された価値判断にすぎない。
他人の尺度、他人が訊いても納得する一般的な価値基準を用いないと、語ることができない。
そして、その他人の正体とは、まさに言葉なのだ。
成長するにつれて、他者からやってきた言葉を身につけ、言葉を介して、周囲の物の区別したり、物の価値を理解していく。
そして、その言葉がやがて欲望となって、人が活動していく原動力となる。
しかし、欲望が他者から持ち来された言葉を介して生じている以上、豊かであると思われた僕たちの心はその実、空っぽ同然なのだ。
と、いうわけで、本書からおよそ理解できた部分を書いてみたが、素人が本のレビューを書いてみたところで、どうこうなるわけでもない。
書いてみたものの、やっぱり間違っているような気がするし、筋から外れているような気がする。
ただ、「日本一わかりやすく」書かれたラカン入門書であるが、僕たちの一般的な見方とは違った世界の見方を、しっかりと教えてくれる。ゆえに、読むにせよ、舐めてかかってはいけない。
他の入門書と比べれば、わかりやすい文体であるが、精神分析的な世界の見方は、人を選ぶように思われる。
分かる人には分かるだろうし、分からない人には分からない。
そう思わせてくれる本であった。
もう1つは、論文である。
現代思想2016年10月号に斎藤環の論文があった。
題は『「日本教」的NIMBYSMから遠く離れて』である。
折しもその年は相模原障害者殺傷事件があり、本書ではその事件の特集が組まれ、幾多の専門家が論文を寄稿したのである。
その中に斎藤環の論文があった。
論文の前半は、植松容疑者の措置入院の是非について、後半は「障害者は生きる価値がない」という植松容疑者の思想が、かなり大きな賛同や共感が得られた現実について考察してる。
そして、僕の関心を引いたのは、後半部分である。
建前の上ではノーマライゼーション(障害者が健常者と同様の生活を送る権利を認めること)を認めながらも、この国においては、戦後一貫して、弱者や障害者を隔離し囲い込む事に専念してきた。
日本の精神病床数は、人口当たりでOECD加盟国平均の4倍、知的障害者施設も街から離れた山奥に点在している傾向がある。
膨大な精神科病床数、大規模な障害者コロニーといった日本の現状にはNIMBYSM(Not In My BackYard ISM:必要なのは認めるが余所でやってね)が透けて見える。
そして斎藤はこの国における弱者排除・障害者排除の起源は、「中間集団主義」(個人よりも家族や組織といった中間集団の価値を優先する)の存在、つまり「ムラ人の論理」にあると指摘する。
「障害者に生きる価値がない」というのは、要するに「社会の役に立たない存在」の全否定に他ならない。
そして、この点は多くの日本人に共有されている発想でもあるのは、少なからずの植松容疑者擁護の声の存在にもうかがい知れる。
そして、生活保護バッシング、ニートやひきこもり叩きも、ここに起因する。
しかし、斎藤はその発想に反駁する。
まず「人間の生の価値判断が可能である」というのは誤謬である。
生というのはあらゆる価値判断の基盤であり、ゆえに「生」そのものの価値判断は原理的に不可能だからである。
それでも強いて判断するなら、「すべての生は平等に価値がある」と考えるしかない。
また、この誤謬と関連するのは「義務を果たさずに権利のみを主張するな」という説である。
日本人にのみ共有されているこの常識は、世界標準である「天賦人権説」からすると誤りである。
人権は生まれながらにしてあらゆる個人に平等に分配されている。
「権利に義務がともなう」という場合の「義務」とは、「個人の権利を国家が保障する義務のこと」だ。
世界の常識とはかけ離れた日本の「権利と義務はバーター」説は、つまるところ社会貢献度に応じて生の価値が定まるという発想と地続きであり、その根幹には「ムラ人の論理」がある。
この傾向を補強する「理念」があるとすれば、それは山本七平の「日本教」にある。
もちろん「日本教」は特定の宗教でない。
日本に広く行き渡っている精神性であり、我々はことごとく「日本教」信者である。
「日本教」の中核にある概念は、「自然」と「人間」である。
これは「超越性」や「他者性」なしで世界観を構築するための理念体系である。
ゆえに、この2つの概念は他の文化圏でも共通するものではなく、あくまで日本人の自己愛の延長線上に発生した特殊な概念である。
神をもたない「日本教」信者の行動原理は、周りの人間を基準とする。
日本人が集まって集団となり、何らかの機能を持つようになれば、直ちに擬制血縁集団のような共同体に転化する。
学校や企業といった機能集団(=中間集団)は、常に家族的な共同体でもあるという二重構造を持っている。
そして、この構造がもたらす価値判断の1つが「人間主義」である。
結果を出し努力している個人こそが評価され、何もしていない個人は貶められる。
そして、その傾向のひずみが、精神障害者や知的障害者の排除の政策、「弱者男性」叩き、そして植松容疑者による凶行となって現れた。
日本特有の優生思想は容易に変わらないだろう。
それは、日本の中間集団においては隠微かつ執拗に受け継がれているためである。
戦後七十年を過ぎても、本来の意味での天賦人権説が定着しないのもそのためだ。
しかし、だからといって、植松容疑者の犯した凶行が繰り返されるようなことがあってはならない。
「日本教」が根深いわれわれの社会においては、植松容疑者のような存在と、共存をはかるしかない。
そして、まずはその「思想」に耳を傾け、その由来と帰結とをていねいになぞりながら対話を続け、彼の生きた「現実」を可能な限り共有しなければならない――。
レビューを書こうとしたら、論文をまとめただけになってしまった。
そもそも友達がどうして斎藤環の本に関心を持ったきっかけをきっちり把握していないので、この記事がはたして彼の要望に応えることができたかどうかについては、非常に心許ない。
だが、斎藤氏はひきこもりの専門家として、著名な方であるのは間違いない。
この拙文が微力ながら友人の役に立てられたのであれば、幸いである。
【追記】
私見であるが、人間を値踏みし、序列をつけ、ときには排除しなければならないことがあっても、その資格は人間にはない。
それは人間をはるかに超越した神や仏、運命といったものだけに許されているのだろう。
イエスは彼らの心の思いを見抜き、一人の幼子の手を取り、ご自分のそばに立たせて、仰せになった、「わたしの名のために、この幼子を受け入れる者はみな、わたしを受け入れるのである。またわたしを受け入れる者はみな、私を遣わされたか方を受け入れるのである。あなた方みなの中で最も小さい者こそ、もっとも偉いのである」(ルカによる福音書9章48節)
たとえ優生思想にもとづいた排除があったとしても、世間的には弱者と呼ばれるものが守られ、意外にも「自分は一番大丈夫だろう」と安心しきっている者から、排除されるものなのかもしれない。
まあ、蛇足だな、こりゃ。
【告知】文学フリマ大阪12に出店します
決着
Mさんの刑罰が決定されてから、ほぼ3カ月が経過した。
あれ以来、検察庁から何の音沙汰もない。
何の通知もないということは、Mさんは検察庁の督促状を黙殺し、今なお逃げ回っているという証左なのだろうか。
そうであるならば、それでもいいと思った。
むしろ、そちらの展開を望んでいた。
検察庁からの再三にわたる督促を無視すると、やがて警察がMさんを逮捕する。
すると、まもなく彼は労役場に送られることになる。
娑婆から隔離されたこの収容施設にて、月曜日から金曜日まで、日当5,000円の単純作業に従事する。
仕事がない週末になれば、自由になれるわけではないので、無論土曜日も日曜日も労役場の外へ出られない。
そうして、科せられた罰金の金額に届くまで、労役場での生活を強いられるのだ。
Mさんに科せられた罰金の高は、10万円。
これを日当の5,000円で割れば、20日というMさんが完納に必要な労働日数が導き出される。
しかし、毎日働くわけではない。
前述したように、土曜日と日曜日は休日なので、1週間の実働日は5日間である。
なので、20日間働こうとすれば4週間、つまり丸々1カ月という時間が必要なのだ。
娑婆から放り出され、尋常の社会生活の中断を余儀なくされる期間としての1カ月間は、誰であろうとも後々にまで尾を引く損失を与える。
特にMさんのようなその日暮らしの一文無しにとっては、致命的である。
別に仕事にあぶれるわけではない。
雇い主が派遣会社から労役場に替わっただけで、Mさんには依然として、こなすべき仕事がある。
ただ、働いて得た給料は彼の手元に残らず、そっくりそのまま国庫に納付されるだけである。
Mさんからすれば、ただ働きも当然である。
そして、労役場で金にもならない労働に1カ月従事すれば、見事に解放されるわけであるが、先立つ物がないMさんにとっては、慣れ親しんだはずの世間は、もはや地獄と化している。
ギャンブルに溺れ、明日の食べる物に事欠き、1度や2度話しただけの知り合いに寸借を頼んでは、不義理を重ねてきても、Mさんが生きて来れたのは、給料の支給が途絶えなかったからだ。
どんなに負けが込んでも、どんなに貯金がなくても、次の給料日に望みを託せた。
来月の決まった日に給料が確実に振り込まれるという見込みがあればこそ、ギャンブルでギリギリまで無茶もできた。
だが、そんなMさんが労役場に放り込まれてしまえば、どうなるだろう?
収容されている間はまだいい。
労役場では仕事をあてがってもらえる代わりに、風雨をしのげる屋根の下で、食べて寝るだけのことは、世話をしてもらえるから。
しかし、収容期限が過ぎて、娑婆に戻っても、その時には仕事も金も住む場所も無くなっている。
1カ月間の労役場の収容が決まれば、派遣先の工場は速やかにMさんを解雇するだろう。
そして、派遣会社も、Mさんがしばらく警察にお世話になることを知れば、やむなく彼に懲戒解雇の処分を下すだろう。
もちろん、Mさんが住んでいたアパートの部屋は、そのままにしておくわけにはいかない。
Mさんが労役場に収容されたのち、派遣会社は彼の近親者に連絡して、部屋にあるわずかばかりの私物の撤去を命じるだろう。
労役場では週に5日、真面目に仕事をこなしていくだろうが、娑婆での彼の労働実績は皆無である。
ゆえに、労役場から出所したところで、Mさんに対して何ら金銭的な
報酬は用意されていない。
住む場所も、仕事も取り上げられている。
それなら、いっそのこと、出たばかりの労役場のドアをもう一度逆戻りして、「ここで生活させて下さい」と職員に土下座して、直談判した方がまだマシとも言えよう。
厳しすぎる末路であるが、仕方がない。
少額でも返済していけば、元々いた派遣会社を辞めていなければ、財産開示期日にきちんと出頭しておけば、こうなることにはならなかった。
あまりにも、人を舐めすぎた。
それが生活の破綻に繋がろうとも、約束を破った報いはきちんと受けなくてはならない。
それが、因果応報というやつだ。
このように、ゆくゆくは警察がMさんの身柄を確保したという通知を検察庁が寄越してくれるだろうと思い込んでいた。
そして、4月9日、買い物帰りに郵便ポストを覗いてみると、とうとう首を長くして待っていた検察庁からの封筒が入っていた。
急いで郵便ポストから取り出し、自宅に戻ると、惚れ込んでいる女性から来た手紙のように、どきどきと胸の鼓動を打ち鳴らしながら、封を開ける。
「通知書」と題された1枚のA4用紙に記載されている内容は、至極単純であった。
『○○○○(Mさんの本名)に対する民事執行法違反事件(事件番号令和5年検第○○○号)について、令和6年4月3日、罰金10万円が納付されましたので通知します。』
記載されていたのは、これだけであった。
そして、これは僕にとって意外な知らせであった。
Mさんは罰金を支払い、労役場送りを免れた。
両親や近親者が代わりに納付したとなれば、判決が下された直後にしているはず。
となれば、Mさんが自力で10万円をかき集めた可能性が大であるが、無論、その全額を自らの給料から捻出できたとは考えにくい。
おそらく自腹で用意できたのは、せいぜい5万円程度だ。
そこから、もう半分の5万円は職場の同僚から借りたのだろう。
期待とは異なる現実、Mさんの悪あがきを見せつけられて、僕は肩透かしを食らったが、罰金を精算しおおせるくらいに娑婆に未練があるなら、それはそれで構わない。
仕切り直しということで、僕は改めて、財産開示手続を申し立てるだけである。
『今後、もし、また同じように裁判所から出頭を求められれば、そのときは必ず出頭しますし、のんき者さんや、そのほかの借金のことも、きちんと解決できるようにします。』
これは、検察庁の供述調書に記載されているMさん本人の言葉である。
その心に、嘘偽りがないかどうか、確かめてやるのだ。
検察庁から通知書をもらったその日のうちに、地方裁判所N支部に出向いて、記入しなければならない書類をもらい、翌日には必要な書類を全部揃えて提出した。。
4月9日は月曜日、4月10日は火曜日なので、本来なら三十路半ばの男が、朝っぱらから職場以外の場所をうろちょろできる暇はないはずである。
しかし、その頃、僕の派遣先が昨年末に前代未聞のスキャンダルを引き起こし、その残務処理のために、工場の稼働を停止している最中であった。
もらえる休業手当の高は、雀の涙ほどである。
代わりに、平日のど真ん中でも、好きなところへ外歩きできる時間が、ふんだんにあった。
そのように、あってはならない不祥事のおかげで、迅速に次の行動をとれるようになったのだ。
最初は全く分からなかった財産開示手続の申し立ても、2回目となれば慣れたもので、4月9日に裁判所の職員から説明してもらった書類や収入印紙、その他諸々の書類を、翌日には全て揃えて、地方裁判所N支部に提出することができた。
書類に不備がないことを確認した裁判所の職員は、即座に僕の申し立てを受け入れた。
これからは、債権者と債務者双方に実施決定通知書が送達され、送達が確認された時点で、財産開示の実施が確定する。
はたして、Mさんは素直に裁判所からの郵送物を受け取るかどうか。
そこが成否を決する肝であった。
いくら債権者側が用意周到に裁判や財産開示に備えてきたとしても、相手方が特別送達を受け取らないと、意味が無いからだ。
特別送達は、原則として受取拒否をすることができない。
なので、相手が特別送達の受け取りを拒否し続ければ、最終的には「公示送達」という手段に頼るしかない。
裁判所の掲示板に、相手方が訴えられている旨を記載した書面を2週間掲示することで、形式的に特別送達を受け取ったことにするのだ。
その上でMさんが出頭しなかったとしても、一応は陳述等拒絶の罪で刑事告発できると思われる。
しかし、直接受け取ったわけではないので、検察が不起訴処分の判断を下してもおかしくなさそうである。
実際、そのようなネットニュースの記事を読んだことがある。
そうでなくても、公示送達の段階までいくと、時間はかかるし、仮に検察が不起訴処分を下し、その撤回を求めて、検察審査会に異議申し立てをしたところで、納得のいく処分(「起訴相当」もしくは「不起訴不当」)を得られるまで、さらに数カ月かかることを覚悟しなければならない。
そうなったら、面倒である。
これ以上事態が面倒にならないためには、Mさんには素直に特別送達を受け取ってもらったほうが、都合がいい。
裁判所からの郵便物を受け取るだけでも、ここまで想定しておかなければならないのは、如何せん、Mさんの次の行動が読めないからである。
Mさんが派遣先の工場を辞めてからしばらくして、弁護士事務所から支払督促状の内容証明郵便を送ってもらったことがあったが、彼はそれに一切手をつけずに、1週間の保管期限が過ぎ、弁護士事務所に返送されたことがあった。
その割には、1回目の財産開示の実施決定通知書の特別送達は、きちんと受け取っている。
どうも彼の行動が一貫していないので、どちらの場合も十分起こり得るものとして、僕は心の準備をしなくてはならないのだ。
4月30日、休業中に始めたランニングから帰ってきたときのことである。
スマホを確認してみると、着信があった。
地方裁判所N支部からであった。
折り返しかけてみると、財産開示期日の候補についてであった。
裁判所で用意できる日程は、今のところ6月11日か18日のどちらかであった。
もし、それまでに派遣先の工場が稼働を再開させたなら、6月11日のほうが都合がいい。
6月18日は夜勤の週であるが、6月11日は日勤の週である。
大事な財産開示に臨むのなら、生活リズムが正常に整っている11日のほうがいい。
僕は電話の相手に、11日でお願いしますと伝えた。
それから、しばらくやりとりが続いて、財産開示期日は6月11日午前10時30分からとなった。
電話を切ると、僕はひとまず胸をなで下ろした。
このように具体的な期日の調整の電話があったということは、すでにMさんは滞りなく裁判所から来た特別送達、財産開示の実施決定通知書を受け取った、ということだ。
とりあえず、僕が懸念していた面倒くさい展開は、全くの杞憂で済んでよかった。
それからしばらく時間が経ち、期日まであと1週間に迫った6月4日、僕は夜勤が引けた後、電車に乗って、大津地方裁判所N支部に来ていた。
その昨日、N支部からMさんが答弁書を提出したので、期日前に来庁すれば、答弁書を閲覧・謄写できると電話があったのだ。
もちろん僕は、明日行きますと二つ返事で答えた。
地方裁判所N支部に来庁すると、裁判所の職員の指示に従って、民事事件事件記録閲覧謄写票に必要事項を記入し、判子を押す。
それから、Mさんの答弁書をお借りする。
答弁書の中身はたったの2枚、財産目録の一覧表と、「給与・俸給・役員報酬・退職金目録」と題された用紙だけであった。
財産目録の一覧表には、預金、生命保険、不動産所有権、自動車、ゴルフクラブ会員権、株式など、個人の財産の項目がずらりと並べられており、それぞれに「ない」か「ある」にチェックする欄がある。
Mさんの場合は、軒並み「ない」にチェックを入れている。
ただ「給与・俸給・役員報酬・退職金目録」の項目だけ、「ある」にチェックを入れている。
そして、次のページには、その唯一「ある」と回答した財産についての詳細が書かれていた。
書かれている内容は、どとのつまり、給与を頂戴している勤務先情報である。
この1年と9カ月の間、僕が喉から手が出るほど欲しかった情報である。
これを見た瞬間、僕はニヤリとほくそえんだ。
そして、嬉々としてこの2枚の答弁書をコピーした。
帰るとき、裁判所の職員がしてくれた話によれば、Mさんが出頭した際、何か質問したいことがあれば、事前に質問事項書を作成して、提出していただければ、裁判官の許可により質問できるらしい。
債権執行に一番必要な情報が手に入ったので、その時点では、特に質問は思い当たらなかった。
特に質問することはない。
そう思っていたが、念のために、期日前日には以下の2点の質問を記した質問事項書を作成した。
それは『給料の締め日及び支払日は、それぞれ何日なのか?』と、『現在、のんき者以外に、債務者の給与債権の強制執行をすでに行っている、若しくは強制執行を申し立てている債権者はいるのか?』である。
1つ目は、単純に毎月何日に取り立てられるのか、見通しを立てておきたいがための質問である。
2つ目は、他にMさんの給与を狙っている債権者がいるのかどうか、知りたかったからである。
もし、そういう人物がいたとして、すでに債権回収の手続きに入っているとすれば、僕の取立はかの人の取立が終わってからとなる。
つまり、僕は後回しにされてしまうわけだ。
想定される債権者というのは、おそらく貸金業者だろう。
個人で、財産開示手続まで踏み込める人物は、僕だけであろうから。
そして、すでに強制執行を行っている債権者がいるのなら、どうしようもない。
迅速なる回収は諦めて、自分の順番を待つしかない。
ただ、そういう「敵」の有無だけでも、知っておく必要がある。
それからさらに1週間が経ち、とうとう財産開示期日の6月11日を迎えた。
火曜日だったが、この日のために予め有給休暇を申請していた。
午前10時前に、最寄りのN駅に降り立つ。
本格的な夏の到来を予感させる、カンカン照りの暑い日差しを全身に受けて、眩しさのあまり目を細める。
背中に背負っているリュックサックには、ノートパソコンを入れていた。
Mさんの財産開示が終わった後、すぐさま給与の債権執行手続を申し立てるために、どこでも使えるノートパソコンが必要なのだ。
特に、債権者、債務者、そして第三債務者(債務者の勤務先)を記載する当事者目録を作成するときに使うのだが、勤務先は分かっていることだし、事前に自宅で作成・印刷しておけば、それで済むのではないかと読者は思われるかもしれない。
しかし、この1年10カ月の経験上、文書作成ソフトで自作しなければならなかった書類は、必ずいくつかの不備が見つかって、訂正・修正を求められるというのは、すでに分かっていた。
もし何も備えもないまま、書類を突き返されてしまったら、自宅までとんぼ返りして、修正を施し、印刷し、ふたたび地方裁判所N支部まで行かねばならない。
それだと、二度手間である。
下手をすると、修正が間に合わなくなって、申し立てが別の日に先送りにされてしまうかもしれない。
僕にはそんなに時間のゆとりがない。
だから、ノートパソコンを持ち運んでおけば、たとえやり直しが求められても、近くの喫茶店に入って、そこで修正作業ができる。
印刷は駅前のセブンイレブンのネットプリントを活用する。
これこそ、長きにわたる法的手続きの経験が生んだ知恵である。
地方裁判所N支部の受付窓口に立つと、とりあえず2階の控え室に案内された。
そこで、期日の時刻になるまで、待機するように職員から指示を受けた。
そこはテーブルと椅子しかない小さな部屋であった。
椅子を引いて、腰掛ける。
そして、10時30分になって職員が再び呼びに来るのを、じっと待った。
Mさんは来るだろうか、いや、きっと来るだろう。
何せ今回は前回と違って、答弁書も提出している。
そもそも、前回は財産開示期日に出頭しなかったからこそ、罰金を支払い、前科を背負うという手痛い代償を被ったのだ。
それにもかかわらず、出頭しないとなれば、よほどの大馬鹿者である。
来るとなれば、およそ1年10カ月ぶりの再会となる。
それまで、Mさんの顔は警察の捜査記録の中でしか見たことがなかった。
追いかけ続けてきた獲物の面を、ようやく拝める。
踏み倒して、前科者になったMさんの顔をだ。
そう思うと、緊張やら武者震いやらで、汗がじわりと吹き出す。
考え込んでいるようであり、考え込んでいないようでもあった。
ただ、緊張の意図だけが心の中で、固く縦横に張り巡らされているのを感じていた。
そうしているうちに、時刻は10時30分となった。
なのに、職員の人が迎えに来なかった。
これはおかしい。
僕はにわかに不安に襲われた。
もしかしたら、財産開示手続を担当する職員に、僕の来庁が伝わっていないのかもしれない。
せっかく30分も早く来たのに、それが伝わっていなければ意味がない。
そのまま控え室で待ちぼうけを食らわされている間に、財産開示が僕の不出頭で強制的に終わらされたら、ここまでの努力が水の泡になる。
僕は慌てて、1階まで下りて、受付窓口で担当の職員が呼びに来ないことを、口早に説明した。
話を聞いた職員は、そんなはずはないというような顔をして、僕を2階に再び案内した。
2階の廊下で、担当の職員がうろうろしていた。
そして、僕の姿を認めると、ほっと安心したような顔をした。
どうやらすれ違いになっただけのようだ。
担当職員に案内されて、大広間といった部屋に案内される。
そこには、先にMさんが座っていた。
僕のほうは、担当職員に僕のはやとちりを謝りながら入室したので、その気の動転している最中に視界に飛び込んできたMさんの姿に、ちょっと驚かされた。
しかし、口元では無意識にニヤリとしてしまった。
さあさあ、ご開帳だ。
長いテーブルには、裁判官と担当職員が座る。
そして、その両端に、僕とMさんが向かい合うように座った。
用意された椅子に腰かけて、真正面に座るMさんをまじまじと観察する。
担当職員に続いて、僕が入室した瞬間、確かにMさんと目が合った。
しかし、それも一瞬だけで、すぐに目を伏せてしまった。
それから、片時もこちらを見ようとはしない。
目を伏せながら、両手で何やら紙切れをいじくっている。
出で立ちは、年に1回のライブイベント「京都大作戦」のロゴが入った黒のTシャツに、ジーパン。
最後に会ったときは、長めの黒髪をオールバックにして、キャップを被っていたが、今はその髪を茶髪に染め、額に垂らしている。
そして、下手なパーマをあてたためか、若干ボサボサになっている。
目の周りには、数m離れた僕の席からでも分かるくらい、ひどいクマができている。
ストレスか、Mさんの精神的な病のせいなのか。
「それでは、財産開示を始めます」
5、60代のいかにも淑女といった感じの裁判官が、財産開示の開始を告げた。
「まずはじめに、こちらを読んで下さい」
裁判官はMさんに1枚の用紙を手渡した。
「はい」
そう返事をすると、Mさんは手渡された紙に書かれた文章を、読み上げていった。
「宣誓書。良心に従って本当のことを申し上げます。知っていることを隠したり、ないことを申し上げたりなど、決していたしません。以上のとおり誓います」
読み終わると、宣誓書を裁判官に返した。
「ちょっと聞きたいんですけど、もし僕が勘違いしていたり、忘れていてあとから思い出したりしたことであっても、それは嘘になるんですか?」
宣誓書を返すなり、Mさんは早口で裁判官に質問した。
あたかも、これが人生の一大事かのように、切迫した調子を伴っていた。
突然の質問に、驚いてしまったのか裁判官と担当職員は顔を見合わせた。
「いえ、直ちに嘘になるということではありません」
裁判官は丁寧で落ち着いた語調で答えた。
何を企んでやがるんだ?
僕は、誰もが予想してなかった質問をするMさんの様子を見て、眉をひそめた。
そして、警戒をいっそう高めた。
そもそも、質問の内容自体があやしかった。
民事執行法では、財産開示の場において、正当な理由もなく嘘をついた債務者に対して、刑事罰を科すと明記しているし、先ほど述べた宣誓書にも「ないことを申し上げ」ないことをMさんに誓わしている。
では、虚偽の説明が故意でなかったとしたら、それは罪にはならないのか?
Mさんの言葉を借りれば、勘違いしていたり、忘れていてあとから思い出したりした事実であれば、それは見逃されるのか?
嘘それ自体が罪になり得る財産開示において、Mさんは絶妙な質問を繰り出してきた。
そんな質問をわざわざしなければならなかったということは、勘違いや失念を隠れ蓑にして、ひた隠しにしておきたい事実があるということなのだろうか?
それにしても、仮にひた隠しにしておきたい事実があるとして、それが勤務先の情報、つまり勤務先名や本店所在地、勤務場所であれば、勘違いや失念などで言い逃れしようにも、九分九厘不可能だ。
なにせ、これはあらかじめ答弁書に書いて、1週間前に送って寄越した情報であるからだ。
債権執行において一番の肝であり、Mさん自らが記入した答弁書にある情報に関して、今さら勘違いしていただの、うっかり忘れていただのといった言い訳は通用しない。
もしそうだとしたら、そもそも始めからそんな下手な嘘をついてまでして、出頭しようとする意味がまるで分からない。
どういった意図をMさんが持っているのか知らないが、とにかく彼の語る言葉に注意しなければならない。
そう思って、僕は気を引き締めた。
「そうなんですね。なにせのんき者さんと別れてから、時間が経っているんで、勘違いや思い込みがあるかもしれませんから。あと、裁判所と警察って、今回の件で繋がっているんですか?」
「いえ、そういうわけではありません」
Mさんは、刑事告発された要因を、裁判所と警察との関係にあると見ているらしい。
残念ながら、その推測は見当違いだ。
彼を警察に突き出すべきか見極め、判断するのに、裁判所は関与しない。
Mさんをどうするかどうかは、全て僕の判断に委ねられているのだ。
その辺の事情は、Mさんには全く知りもしないだろう。
だから、突如として視界を奪われた人がやたらめったら手を振り回して、周囲の環境を把握しようと努めるように、とりあえず質問できることは何でも質問して、現状を明確にし、不安を取り除いておきたいのだ。
それから、裁判官とMさんとの間において、質疑応答が行われた。
答弁書では把握しきれない、Mさんの財産状況について、裁判官から事細かに質問が繰り出され、それに対して、Mさんは率直に質問に答えていった。
そのやりとりは担当職員が聞き書きし、僕も持ってきたノートに書き留めていった。
まず、口座はゆうちょ銀行とネットバンクの2種類あり、派遣会社からの給与の振込はゆうちょ銀行に設定してある。
答弁書には、貯金は「なし」と答えたが、それは財産目録の答弁書を作成した時点では、残高は数十円であったので、銀行口座を財産の対象に含めなかった。
現在は給料が入ったので、口座には900円ほどあり、手持ちの現金は4~5万円所持している。
また、派遣社員として働いており、財産目録記載の会社の本店から、給与が支払われている。
給料は時給制で、残業によっては手取りはおよそ25万円~30万円と変動する。
家賃は天引きである。
賞与という形式はないが、その代わり、出勤率が95%以上であれば、3月と9月の半年ごとに、報奨金という名目で、5万円が振り込まれる。
ここまで来ると、次は僕からの質問に移った。
と言っても、裁判官が僕の提出した質問事項書を代読するだけなのであるが。
給与の締め日と支払日は何日か、という質問であるが、これは締め日が毎月15日で、支払日が翌月1日であるようだ。
さらに、他の債権者の存在であるが、○○という消費者金融(僕には聞いたことのない会社だった)に借り入れがあり、支払いを滞納していたので、2~3年前に訴訟された。
昨年は2~3回、自宅の玄関まで来て、支払督促の書類を手渡していったが、それ以降のアクションはない。
以上で、Mさんの財産開示手続は終了した。
これらの情報で分かったのは、債権執行の手続きが首尾良く運べば、毎月1日にMさんの給与の4分の一の金額を取り立てできるということだ。
手取りの金額は25~30万円と答えていたのだから、少なくとも6万円以上は毎月返ってくるということだ。
だた、1回目の取り立てが7月からになるのか、若しくは8月からになるのかは、今のところ分からない。
債権執行の実施決定通知書が、Mさんと派遣会社双方に届いてから、4週間後になって、ようやく取り立てができる権利が発生するからだ。
その辺の事情は、後ほど裁判所の職員に訊いてみよう。
そんなことを考えながら、帰る準備をしていると、にわかにMさんが裁判官に質問した。
「あの、もしこの後、のんき者さんがいいと言ったら、2人で和解というか、話し合いとかできますか? もちろん、のんき者さんは僕と話したくないでしょうけど、もしのんき者さんや弁護士さんがいいと言ったら、できますか?」
ピリッと空気がひりついた。
Mさんからの突拍子もない質問に、ふたたび裁判官と担当職員は顔を見合わせた。
今度は僕が目を伏せる番であった。
「それに関しては、私たちは関知しないので、2人でどうするか決めてください。ただ、そのためにおふたりに裁判所の施設をお貸しすることはできないので、敷地の外でお願いします」
裁判官がおそるおそる言った。
その行間には、万が一の面倒ごとには巻き込むなという意思が込められているように思えた。
僕のほうはというと、視線を落とし、右手を口元に当てて考え込んでいた。
Mさんのこの発言を、どう見るべきか?
Mさんの言ったとおり、彼の目的は単なる世間話にあるのか、それともまた別の目的があるのではないか?
もしかすると、Mさんは僕を殺害しようとしているのではないか?
ここに来て、とんでもない空想に過ぎなかった可能性が、現実味を帯びてきた。
いまやMさんは「無敵の人」一歩手前にいる。
借金漬けでギャンブル中毒の派遣社員。
そのうえ僕の執念を傾けた策略によって、前科者にさせられた。
そして、今は勤務先の情報を丸裸にさせるまでに追い詰められ、これから大事なギャンブルの元手の一部を強制執行させられようとしている。
これからまともに生きても、地獄が待っているだけだ。
それならいっそのこと、事の起こりである僕自身の人生も、地獄に引きずり下ろしてやると自棄を起こして、捨て身の無茶を働こうとするのも、不思議ではないだろう。
財産開示期日の前に、時折そんな可能性について想像を膨らませ、万が一に備え何か対策はないものかと、ネットショッピングサイトで防刃ベストを探してみたが、本当に効果のありそうな本格的な代物は、1着数万円もするので、さすがに購入は諦めた。
だが、もしかしたら、その選択が間違っていたと後ほど後悔する展開が目前に控えているかもしれなかった。
しばらく僕は考え込んだが、「いいですよ」と裁判官に返事をした。
Mさんと僕は肩を並べて、大広間を出た。
「そっちの工場、今どうなってるん?」
「そりゃ、もう、大変なことになっていますよ」
「誰か辞めた人はおるん?」
「Mさんが去ってからは、正社員の○○さんや△△さんとか辞めましたけど、派遣の人は大方残ったままです」
「△△さんって、□□ラインの?」
「そうです」
世間話は、僕の派遣先の状況や人事について始まった。
Mさんは凶器を持ってはいなさそうである。
彼は鞄もリュックも持っていない。
手ぶらである。
手ぶらだし、何やら殺気めいた気配もない。
隙があれば刺し殺してやるというような焦りも緊張も、こちらには感じ取れない。
白旗を掲げた、疲れ切って無抵抗の、四十路手前の男性がいるだけである。
とりあえず、僕の生命が脅かされる危険はないだろう。
僕らはそのまま肩を並べて、裁判所の建物を出た。
「ちょっと待ってて。今から自転車取ってくるから」
「分かりました」
僕は裁判所の前を通る道路の路肩で、Mさんを待った。
すぐに彼は黒色のママチャリを押して戻ってきた。
「どうしますか? 長い話になるなら、駅前の喫茶店にでも行きますか?」
僕は駅のほうへ歩き出した。
「いや、そこまではええわ。駅で少しだけ話せたらええから。のんき者くんも、今から帰るやろ?」
そう言いながら、Mさんは僕の後を追った。
「帰りませんよ」
「え?」
「今回の財産開示で得られた情報をもとに、今から給与の債権執行の申し立てをするつもりなんで。だから、また裁判所に行くつもりですから」
「そうなんや。それじゃあ、ここで話したほうがええな」
僕とMさんは歩きかけた道のりを引き返した。
そのついで、である。
Mさんが「ごめんな」と謝ったのは。
今から思えば、Mさんには面と向かって、きちんと頭を下げて、謝ってもらうべきだったと思う。
少なくとも、誠意ある謝罪というのは、歩いているついでに、するものではないと思う。
だが、その時の僕はそんなことを気にしなかった。
気にせず、彼の謝罪の一言を聞き流した。
理由は、もっときちんとした形の謝罪を強く求めても、Mさんの逆ギレを招き、反感を買うだけであるから。
そして、彼は十分報いを受けているのを知っているからである。
警察による家宅捜索、自宅の写真撮影、2度の事情聴取、検察官による事情聴取、有罪判決、罰金。
刑事告発をした僕本人ですら、ここまで徹底的な捜査を行うものかと捜査記録を読んで、腰を抜かしたほどであった。
そして、これが警察が事件を捜査するということなのだと、目を見張ったものであった。
Mさんは、僕の想定していた以上の社会的制裁を、すでに受けている。
だから、僕はそれほど怒ってはいなかった。
すでに、貸したお金を回収することしか、頭になかった。
「それでな?」Mさんは裁判所の門扉の前で止まって訊いてきた。
「和解ということで、これから月2~3万円ずつ払うから、それで許してもらえへんやろか?」
「無理に決まってるでしょ」
即座に、僕はMさんの申し出を一蹴した。
何を言っているんだと呆れてしまった。
それができなかったから、今こういう状況に置かれているのではなかったか?
Mさんが職場を飛ぶ前、僕は何度も彼の返済計画の相談に乗ってやったものだった。
今月は5万円の返済が無理そうなら、3万円でもいいですよ。
今月の返済がダメそうなら、来月でもいいですよ。
彼から相談を持ちかけられる度に、僕は全面的に妥協して、彼の懇願を受け入れてきた。
僕は絶えず、救済の手を差し伸べてきたのだ。
その結果がこれだ。
裏切って、連絡を絶ち、踏み倒して、挙げ句の果てに尻尾をつかまれ、警察沙汰だ。
そのために、僕は多くの時間と金を費やした。
それなのに今さら、Mさんの申し出を信用して、引き受けるとでも思ったのか?
そもそも、「和解」とは何だ?
月2~3万円の振込を認めさせるという申し出を受け入れさせるために、Mさんからも僕の利益になるような条件を提示して、初めて「和解」という言葉に実質が伴うのではないか?
そして、Mさんは僕に何らかの条件を示してくれただろうか?
下手に出るだけで、彼の申し出ているのは和解ではなく、一方的な要求に過ぎない。
頓珍漢にもほどがある。
まあ、だからといって、今さら騒ぎ立てるものではない。
「そうやんな~。無理やんな」
Mさんはため息をついた。
彼にとっても、この懇願は「駄目で元々」のつもりだったらしい。
そりゃそうである。
こんな無茶な申し出を、本気でされちゃ、こっちが困る。
「いやー、でも、今日はのんき者くんが来るとは思わなかったわ。俺だけが来るもんやと思ってた」
「んなわけないじゃないですか。僕が行かなきゃ、誰がMさんの不出頭を告発するんですか」
「それもそうやね。でも、こうして話せてよかったわ。のんき者くんとか弁護士さんに断られたら、どうしようかと・・・」
「弁護士なんていないですよ!」
僕は息巻いた。
「弁護士なんて、雇うわけないじゃないですか! そんなことしてたら、お金もかかるし、解決にもっと時間がかかってましたよ!」
「ホンマに?」
Mさんは目を丸くした。
「そりゃ、そうですよ。弁護士なんかいろんな案件を同時に抱えていますから。だから、全部自分でやったんですよ。もちろん、始めだけは弁護士さんに交渉をお願いしたのは、知っていますよね?」
「うん、なんか弁護士から手紙来てたわ」
「訴訟のとっかかりとして、Mさんの住民票の住所を知る必要がありましたから、それを弁護士照会で調べてもらうために、弁護士さんと一時的に契約しました。ですが、住所を知ってからは、少額訴訟も、債権執行も、財産開示手続も、刑事告発も、全部ネットで調べて、自分でやったんですよ。書類送検されたからといって、事件の6割が不起訴になると知って、救済措置の検察審査会について、本を読んで調べたり・・・。ホンマにMさんのおかげで、ええ勉強させてもらいましたわ」
「すごいな・・・」
「執念です」僕はきっぱり言い切った。
「ところで、せっかくですから訊きたいことが色々あるんですけど、一時期弁護士や裁判所の手紙を受け取らなかったのは、どうしてですか?」
これは、今回の騒動の中で一番の謎であった。
2022年12月に内容証明郵便で送った弁護士からの支払督促状、そして翌年1月の少額訴訟の訴状は、「居所不明」のため郵便局から返送された。
住民票の住所を把握していても、肝心の現住所を知っていなければ、訴状を送りつけることはできない。
ということは、少額訴訟の審理を始められず、その時点で取り立ては不可能となる。
そうなると、Mさんは先を見越して、派遣会社も辞めている可能性が高い。
辞めていたら、就業場所上申書を裁判所に提出して、Mさんの派遣会社を経由して訴状を叩きつけることができないからだ。
万事休す。
半ば諦めながら、それでも「駄目で元々」で上申書を提出したところ、予想に反してMさんに訴状が届けられてしまったのだから、喜ぶと同時に驚いてしまった。
それから、探偵を雇って調べてもらったが、現住所の特定には至らなかった。
このまま雲隠れを許してしまうのかと思っていた矢先、Mさんが住民票を置いている市役所で第三者請求をかけたところ、別の市に転居届を提出していることがあっさり分かった。
そして、以後の法的手続きは首尾良く行われていった。
あれだけ頑強に受取を拒否していた数々の特別送達も、全て受け取られていった。
そのこと自体は喜ばしいのであるが、この一連のMさんの動きに、僕は未だに納得のいく説明ができないでいる。
どうして、こんな中途半端な逃げ方をしたのか?
もし、Mさんとの再会が叶うならば、まずこの点について問いただしておきたかった。
「ああ、それやけどな・・・」
Mさんが苦笑しながら説明してくれたところによると、僕と働いていた職場を離れると、派遣会社の伝手ですぐにHO市のアパートに潜り込み、HO市役所に転居届もきちんと提出したという。
そこまでは弁護士照会で、僕も知り得ている情報である。
しかし、それからまもなく派遣会社から別のアパートに引っ越しするように指示されたという。
派遣会社が近々、Mさんが住んでいたアパートの契約を解消するためらしかった。
そのため、移り住んでから2カ月後ほどで、Mさんは派遣先は変わらぬまま、さらに別のアパートに引っ越しをすることになった。
しかし、Mさんはそこで市役所に住民票を移さなかったのだ。
当時、彼は紹介された派遣先の安い給料に、不満を持っていた。
そのため、彼にはあてがわれた職場で、いつまでも働く意志がなかった。
そうして、翌年の3月3日、N市でよりよい条件の派遣の仕事の採用が決まったことをきっかけに、Mさんは退職してN市に引っ越し、僕が追いかけ続けているのを知らずに、転入届を市役所に提出したのだった。
以上が、Mさんの足取りを一時的に見失ってしまった顛末である。
「なあんだ、だから訴状が届かなかったんですね」
あまりにも単純な理由だったので、僕は肩透かしを食ってしまった。
派遣会社の都合による引っ越し。
これまで全く思いつかなかった理由である。
それを思うと、Mさんの現住所を特定するために、弁護士に相談し、はては山勘でアパートに探偵を張り込みさせるまでに至った僕の努力と金は、全くの無駄骨に終わったことになる。
「俺は気が小さいから、基本的に裁判所からの手紙が、全部受け取ってまうねん。何が書いてあるのか心配やから」
そうなると、Mさんは意図せずして、僕を翻弄したわけであった。
僕は苦笑した。
ただ、一番知りたかった謎が明らかにされたので、かえって胸の空くような気持ちになった。
「あと、罰金の納付が遅かったですよね? 1月に有罪判決が下されたのに、4月になってようやく納付されましたね。どうしてですか?」
僕は質問を続けた。
「お金がなかってん。それで、このままやったら、刑務所? 留置場? どっちか忘れたけど、派遣辞めてそこに行かないかんとずっと思ってて。だから、職場の派遣の人に思い切って全部話したら、半分の5万円貸してくれたから、納付できたわ。もちろんすぐに返したけど」
「そうなんですね」
おそらくあと1カ月間見放されたままだったら、そのまま労役場に送られる手筈だったのに、ギリギリのタイミングで、Mさんに救いの手が差し伸べられたようで、僕はがっかりした。
Mさんというのは、なかなか悪運が強いのかもしれない。
「これから、取り立ての流れとしてはどうなんの?」
Mさんが訊いてきた。
「そうですね・・・、とりあえずこれから裁判所に行って、説明を訊いて、書類を揃えて、今日のうちに申し立てを済ましますね。あとはMさんの派遣会社の対応次第ですかね・・・」
僕は説明の要所要所を、ぼかして答えた。
昨年に財産開示手続を申し立てる要件を満たすために、給与の債権執行を行ったので、今後の流れについては具体的に知っている。
裁判所から債権執行の実施決定通知書が送達されてから、4週間後に債権者に初めて取り立ての権利が与えられる。
申し立ててから、通知書の送達まで、約1週間は見込まないといけないとしたら、取り立てが行われるまで、約5週間の時間の猶予があるわけだ。
そうした事情を得意になってバカ正直に話すのは、Mさんに取り立てられる前に逃げる時間の余裕があるのを、わざわざ教えるようなものである。
Mさんは何気なく質問しただけかもしれないが、後々になって、豹変するかもしれない。
債権執行の流れは、わざわざこちらから掘り下げて話す必要のない話題である。
「そうなんや。まあ、安心して。こっからはもう逃げないから。親が死ぬとか、よほど天変地異が起こらない限り、今の仕事は辞めへんから。警察に捕まってからは、これはもう真面目に払わんといかんと思ったから。安心して」
Mさんは力なく言った。
「逆から言えば、辞めない可能性はゼロではないんですね」
僕はいじわるく揚げ足を取った。
今のようなしおれたMさんの態度で、散々僕は譲って、返済額を少なくしたり、返済期日を延ばしてきて、最後に踏み倒されるという形でバカを見る結果になったのだから、絶対に逃げないというMさんの決意表明をあまり信じていない。
こんなにはっきり言い切ったあとで、やはり何の連絡もなしにいきなり辞めてしまったとしても、僕は全く驚かないだろう。
「今回は大丈夫。本当に逃げないから」
「まあ、いいです。たとえやむを得ない事情で、仕事を辞めて逃げたとしても、住民票を調べればすぐに見つけられますから。それはもう重々分かっていることですよね」
「うん、わかってる。あとさ・・・」
返事をした後、Mさんはさらに続けて訊いてきた。
「俺が辞めてから、会社の人らが俺についてなんか言ってた?」
「はあ?」
「あいつはクズやったとか、おらんくなってよかったとか。そんなこと言ってなかった?」
「そんなこと、どうでもいいでしょう!」
僕は呆れて、大きなため息をついた。
派遣先の工場を辞めて2年近く経つというのに、まだそこでの評判を気にするというのだろうか。
「いや、俺って気が小さいからさ」
「いえ、Mさんは気が小さくないですよ」
このやり取りで、Mさんはまったくの頓珍漢なのだと思い知らされた。
人として気にしなければならない点が、まるであべこべなのだ。
ギャンブルで金を失えば、生活費の足しに僕から金を借り、Mさん曰く僕の「人のいい性格につけこんで」、何度も寸借を繰り返し、平気で踏み倒す場面において、普通の人にはない図々しさと厚かましさを、Mさんは持ち合わせている。
今こうして2人が雑談していることもそうだ。
普通の感覚の持つ債務者なら、財産開示を済ませたあとに、債権者に話しかけようとはしないだろう。
一度警察にしょっぴかれたあとなら、なおさらそうだ。
恥やら、逆恨みに由来する憎しみやらで、財産開示が終われば、無言で目も合わせず、そそくさと帰るのが普通だろう。
わざわざ債務者のほうから、話しかけたりしない。
そんなあり得ない出来事が起こっているのも、面の皮が厚いからだろう。
と思いきや、普通の人なら気にしなくて当然のこと、2年前に退職した派遣先の人々からの印象を気にしているのだから、どうもMさんという人物は分からない。
まあ、人として頓珍漢だから、法的に足をすくわれることになったのだが。
「もちろん、借金の踏み倒しについて知っている人からは、クズ呼ばわりされてますよ。当然でしょ」
僕は一部の人に、Mさんに踏み倒されたことを打ち明けた。
「ああ、そうなんや」
Mさんは一言だけ答えた。
やはり、この人はよく分からない。
「あとな、こっちに移ってから病気が軽くなったわ」
Mさんはかねてからパニック障害を患っていて、病院に通っていた。
「今は、N市の病院に通ってるんですか?」
「そうやね。まだ薬は飲んでるけど、だいぶ症状が治まってきたわ」
「そうなんですね」
「それじゃ、そろそろ帰るわ。長々とごめんやで。さっき言ったみたいに、親が死ぬとか、天変地異が起こらない限り、会社は辞めへんから」
「まあ、ひとまず、わかりました。ですが、僕はまだ勝った気ではいません。きちんと全額回収できるまで、何が起こるか分からないですから」
「ほな、帰るわ。質問とかあったら、LINEに送って」
「分かりました」
「そう言えば、のんき者くんはパチンコやめたん?」
「もうしばらく打ってないですね。Mさんはやめたんですか?」
「いや~、パチンコはもうやめれんわ!」
僕は渋い顔をした。
「そうですか。それじゃあ、おつかれさまです」
「おつかれ」
30分ほどの雑談を終えたあと、Mさんは自転車に乗って、帰って行った。
二度と見ることがないであろう後ろ姿を見送ったあと、僕は裁判所の建物に再び入っていった。
予定通り、その日のうちに、僕は給与の債権執行の申立書類を提出した。
自作の当事者目録を1回書き直しただけで、他はスムーズに提出できた。
それから6月19日には、Mさんと派遣会社の双方に実施決定通知書の送達が完了した。
よって、取り立ては7月20日以降、法律上可能となるが、派遣会社と電話で交渉した結果、給料の振り込みが毎月1日と決まっているため、初回の取り立ては8月1日となった。
そして、8月1日当日、Mさんの派遣会社から約6万5000円振り込まれたのを確認したとき、肩から力が抜けた。
ようやく2年間にわたる戦いに、一区切りがついたのだ。
あとは7,8カ月間にわたって、Mさんの給料から徴収していくだけだ。
それから数日後、長期休暇が目前に迫った日、HさんからLINEで連絡が入った。
8月20日の給料日に1万円上乗せして返すから、5万円貸してほしいとのこと。
HさんもMさん同様、ギャンブルに夢中になっており、昔はMさんとHさんの2人同時に貸し付けたことがあった。
ただ、Mさんと違って、Hさんは返済と滞らせたことがない。
『わかりました。ですが、大型連休前の特別料金として、さらに7500円上乗せしてください』
『分かった』
『では、運転免許証と、現住所と、勤務先の分かるものをカメラで撮って、送って下さい』
同じ失敗は、二度と繰り返さない。
とりとめのないことども 13
インドネシア語の学習で一番怖いのは、単語でも、文法でも、発音でも、リスニングでもない。
技能実習生と対面しても、言葉が出てこず、どもって、愛想笑いをするしかない気まずい瞬間の訪れでもない。
単語帳をめくりながら『こんなことして意味あるの?』と耳元でささやいてくる、もう1人の自分の声である。
(そのささやき声が耳について離れなくなると、寸暇を見つけては暗記いそしんでいた熱意が急速に冷え込み、身体に力が入らなくなる。
今までやってきたことは無意味であった。
もっと他のことに時間を費やすべきだったのではないか。
それを心の底から認めることは・・・。
幸いにも、そのような悩みは長く続かない。)
意味が無いとささやかれて、動機を揺さぶられながら、少しずつ前に進むこと自体に意味がある。
いまは、そう考えるようにしている。
僕の住むアパートでは月に一度、資源ゴミの回収がある。
空き缶、空き瓶、段ボール、雑紙、書籍などだ。
収集日の前日くらいに、アパートの入り口付近に空き瓶などを入れるプラスチックのミカン箱や、空き缶を入れるメッシュの大きな入れ物が用意され、居住者や近隣の住民らは収集日の早朝までに、各資源ゴミを捨てに行くのだ。
約2年前に社員寮から引っ越しして、初めて空き缶を指定の場所に捨てに行った時に驚いたのは、カセットコンロのボンベが穴を開けずに処分されていることだ。
カセットコンロのボンベのように、可燃性のガスが詰まっている缶に穴を開けずに処分すると、パッカー車やゴミ処理場で火災が発生する原因となる。
そのため市も再三にわたって注意喚起しているし、常識に照らし合わせれば、穴を開けずにボンベにガスが残ったまま捨てると「ヤバい」ことくらいは分かるはずなのだ。
それだのに、平気でこのような愚行を犯す輩がいる。
だからこそ、世間は油断がならない。
全ての人が常識を守っていると思い込んで油断していると、思わぬところで意表を突かれる。
あれから、僕は資源ゴミの日になると、安穏としていられなくなる。
前日に自分のゴミを捨てると、すぐにその場を立ち去るのではなく、その時点ですでに捨てられているゴミを、懐中電灯を使って隈なくチェックする。
スプレー缶やボンベがあれば、手に取って穴があるか調べ、穴が空いていなければ、ため息をつきながら、予めポケットに入れておいたおいた錐のようなものを、缶に何度も突き刺す。
もちろん、それ以降もゴミはどんどん捨てられていくので、資源ゴミの日が日勤の週にあたれば出勤前に、夜勤の週であれば帰宅後に、集められたゴミに目を光らせて、穴の開いていないボンベが捨てられいないか確認する。
これまでのところ、1本や2本は必ずやそういったボンベが見つかった。
それでも、ボンベは空き瓶やボンベを捨てるミカン箱に捨てられてるので、発見は容易で、パッカー車に集められる前に対処することができた。
ところがつい先日あった収集日に、いつものように空き缶の入ったゴミ袋を捨てに行くと、大量の空き缶を入れられるメッシュの入れ物に、空き缶に混じってボンベが捨てられているのを、見つけてしまった。
驚いて拾い上げてみると、穴が開いていないのはもちろんのこと、燃料もほんの少し入っているらしく、振るとチャプチャプと音が鳴った。
錐のようなもので、穴を開けると、ガスと燃料が勢いよく吹き出てきた。
今回、見つけられたのは、犯人がボンベをメッシュの入れ物に捨ててすぐに、たまたま僕が空き缶を捨てに行ったからだ。
もし、他の人がどんどん空き缶を捨てた後なら、ボンベは埋もれてしまって、僕の目にとまることはなかったであろう。
危ないところであった。
胸をなで下ろすのもつかの間、僕は怒りを覚えた。
翌日になると僕は管理会社に電話をかけた。
空き缶を入れるメッシュの入れ物に、カセットコンロのボンベが穴を開けられずに捨てられていたこと。
まだ、アパートの居住者や近隣の住民のほとんどが捨てに行っていない段階で見つけられたので、もしかしたら監視カメラに犯人が映っているかもしれないこと。
なので、監視カメラの映像を確認して、犯人を特定してほしいと、話の最後に僕は進言した。
管理会社の人の返事は曖昧で、そっけなかった。
まあ、無理もない。
ゴミの収集場所には、管理会社が設置した監視カメラがあるのだが、警察の照会があるわけでもなし、一個人の申し出だけで、監視カメラの映像を検めて、個人のプライバシーを曝しあげるような真似はできない。
万が一、僕のアパートの収集場所から穴の開いていないボンベを回収したために、パッカー車やゴミ処分施設に火災があったとしても、同じ日に何カ所も収集場所を回っているので、爆発を引き起こしたボンベがはたして、僕のアパートの収集場所に捨てられていたボンベによるものなのかどうか、たとえ警察であっても特定することができないだろう。
もちろん、カセットコンロのボンベが穴を開けられずに捨てられていることは、今回が初めてではない。
だが、捨てられているときは、いつもはミカン箱に捨てられていたので、パッカー車が来る直前に確認すればそれで済むと思い込んでいた。
まさか、アルミ缶やスチール缶を捨てているメッシュの入れ物に放り込んでくるとは思いもしなかった。
全くの盲点だった。
空き缶は他の住民によって、たくさん捨てられるので、メッシュの入れ物はいつも一杯になる。
その中に、ひとつだけカセットコンロのボンベがあっても、奥深く埋もれてしまっていては、中身を全てひっくり返さないかぎり、見つけようがない。
となると、今回だけではなかったのかもしれない。
僕が見回っていたおかげで、なんとかボンベが不正に処分されることを防いでいたと思っていたが、その実はアルミ缶の山の中に埋もれていたことが、すでに何度もあったのかもしれない。
そうとも知らずに、僕は自分の見回りの成果に満足しきっていた。
かといって、これ以上は、どうしようもない。
僕自身がアパートの管理人であれば、さっそく監視カメラの映像を確認して、犯人を特定するのだが、僕にはそのようなことができない。まさか、自前で監視カメラを設置するわけにもいかない。
それができれば、たしかに穴の開いていないボンベを捨てた犯人を見つけるのは、容易になる。
しかし、そのような自分なりの理由があるとは言え、公共の場において無許可で監視カメラを設置するのは社会通念上許されるものではなく、露見すれば、何らかの罪の容疑でただちに逮捕されるだろう。
僕にできることは、目に見える範囲で捨てられたゴミをチェックし、たまたま穴の開いていないボンベが、自分で穴を開けていくしかない。
そして、これからはカセットコンロのボンベが、正しい方法で捨てられていることを祈るしかない。
後日、玄関のドアのポストに、封筒が入っていた。
ここのアパートでは、水道料金の明細と振込先が記載された文書が封筒に入れられて、3カ月に1度、大家さんの手によって各部屋の玄関のポストに投函される。
いつものように文書を確認すると、もう1枚紙が入っていた。
それは、カセットコンロのボンベを捨てる時は、2カ所以上穴を開けて廃棄して下さいという内容の、注意喚起の文書であった。
そして、水道料金の明細には「お電話ありがとうございます」と書かれた付箋が貼られていた。
これで事態が改善されれば、何もいうことはない。
人間は二足歩行ができるが、動物はできない。
人間は言語を操れるが、動物にはできない。
このように人間と動物を線引きできる要素はいくつかあるが、その一つに「マナーを守れること」も数え上げていいと、僕は常々考えている。
まず、この社会には人に対して、ある特定の行動を禁止し、制限するために、法律や条例やルールやマナー、道徳などといった社会規範が存在している。
公序良俗を保つため、国民の人権や財産を保障するため、街の景観をきれいにするため、などなど、その目的は社会規範の規模によってさまざまであるだろう。
しかし、どの社会規範にも共通している特徴のひとつというのは、ざっくり述べるなら、自分と身内だけでなく、それ以外の他者の権利をも保障し、迷惑や損害を被らないようにすることではないだろうか。
法律にせよマナーにせよ、自分自身や家族、友人、恋人だけでなく、ある1つの同じ空間(公共)を共にしている素性も知らないその他大勢の他人に対しても、まるで自分のことのように慮ることができて、初めて遵守されていく。
他人のことも自分のことのように想像できるだけの力があればこそ、それぞれの社会規範の目的を理解し、違反行為のひとつひとつに厳しい罰則が設けられていなくても、欲望と本能のままに行動することなく、自発的に社会規範に自らの規範を当てはめることができる。
動物には、これができない。
彼らは遺伝子に組み込まれた本能で行動している。
社会規範とか、公共などといった、抽象的な概念を思考し、理解することができない。
なるほど、やりようによっては、ある特定の動物をあるルールに則って行動させるよう、訓練させることができるかもしれない。
サーカス団の熊や、大道芸の猿回しなどは、その代表例だろう。
しかしながら、彼らはある特定の行動を制限させられている意味、ある特定の行動を強制させられている意味を踏まえて、行動している訳ではない。
あれは、全て人間が行ってきた、躾と訓練の賜物に過ぎない。
制限させられている行動を取ると、具体的なことは何も知らないが、訓練係からなにかしらストレスを与えられる。
教えられた行動を成功させると、訓練係から褒められたり餌がもらえたりする。
まさに人間のような彼らのパフォーマンスは、そのような「餌と鞭」の訓練を反復させられて、初めて身についた(身につけざるを得なかった)行動規範である。
あのような芸当は、彼らが自然のままで生かされていたとしたら、何十年経っても身につけることのできないものばかりだ。
また、ニホンザルの場合だと、群れで行動しているので、一見すると公(おおやけ)の概念を持ち合わせているようであるが、その規模というのもリーダー格のニホンザルが統制を利かせられる、数十頭からなる1つの群れにしか通用しない。
そして、群れのニホンザル以外のニホンザルは、全て敵である。
ゆえに2つのニホンザルの群れがばったり出くわすと、たちまち衝突して、血で血を洗う縄張り争いが起こる。
同じニホンザルであっても、接し方が身内とそれ以外で、まるで逆の反応を示すのだ。
ニホンザルにも、自分以外のニホンザルを思いやる能力があるかもしれない。
しかしながら、その射程は、隣人から市町村、都道府県、国、ひいては世界そのものにまで視座を据える人間には、遠く及ばない。
人間は、動物ではない。
人間の場合、マナーやモラルを守るために、サーカス団の熊や猿回しみたいに、罰則や褒賞を必要としない。
鞭打たれなくても、旅客機の機内に水の入った2リットルのペットボトルを持ち込まない。
金銭を徴収されなくても、喫煙場所以外で煙草を吸わないし、ポイ捨てもしない。
報奨金を与えられなくても、カセットコンロのボンベに穴を開けずに捨てない。
なぜそうしなければならないのか?
何のためにこのようなルールが存在しているのか?
ルールを破れば、誰に迷惑がかかるのか?
何をするにしても、そこまで思いを巡らせ、自分以外の見ず知らずの他者を慮り、自らの勝手気ままな行動を抑制することができる。
それこそが人間の証である。
警察に捕まるから、会社をクビになるから、怒られるから、しない。
そのような意識の低い人物は、裏返して言えば、警察に捕まらなければ、会社にバレなければ、他人の目を気にしなければ、どんな悪事にでも手を染めるということだ。
刑罰や罰則、外部の圧力がなければ、自分の行動を律することができない。
それはもう動物と同じだ。
サーカス団の熊や、大道芸の猿となんら変わらない。
見かけは人間と瓜二つの、言うならば「人もどき」だ。
そして、社会の問題というのは、人間のいるところに、「人もどき」が混じっていることから生じてくる。
僕らは人間にならなければならない。
人であるだけでは、人間にはなれない。
動物か人間か、その線引きは考えることができるかどうかにかかっている。
こんなことばかり考えているからだろうか。
ネットのニュースで時折、殺人や暴行や器物破損、強盗の事件が報じられても、そんなに気分は悪くならない。
たしかに報道されている刑事事件それ自体は、それもこれも極悪非道である。
しかし、どの刑事事件の報道も、たいていの場合事件の概要と共に、犯人の逮捕も報じている。
事件は凶悪きわまりないのは間違いないが、犯人の逮捕という、起訴・裁判・判決といった社会的制裁に向けての流れを予期させる事実によって、ひとまずは溜飲が下がる。
必ずしも、刑事事件の報道は、犯人の逮捕も一緒に伝えているわけではない。
それでも、僕の心は変調を来さない。
刑事事件として取り扱われて、警察が血眼になって犯人の逮捕に全力を挙げるいる以上、早晩逮捕されるのは火を見るより明らかだからだ。
厄介なのは、犯罪ではないけれども、他人を不愉快にさせる迷惑行為を報じたニュースだ。
たとえば、川でバーベキューをした後のゴミが片付けられずに、その場で散乱したまま放置されているニュースが、それだ。
ゴミの不法投棄は、確かに犯罪である。
だが、バーベキューのゴミの不法投棄で捕まった例は、僕の見聞きした範囲では、一例もない。
申込書を記入し、指定された場所でバーベキューを行うキャンプ場ならまだしも、山間の大自然の中を流れる清流となれば、第三者の監視の目は届かない。
自治体がボランティアで見回りをしているという話も聞くが、少人数ゆえに、その活動にも限界がある。
山奥の川辺は、やろうと思えば、いくらでもゴミを捨てられる状況にある。
殺人や暴行、放火となれば、それがたとえどんなに山奥の集落で起こり、犯人がすでに逃亡していたとなっても、警察は躍起になって証拠をかき集め、犯人逮捕に全力を挙げるだろう。
しかし、バーベキューのゴミの不法投棄のような「瑣事」では、警察は動かない(動けない)だろう。
そして、ゴミを捨てて帰った犯人は、何ら制裁を受けることなく、いつものように生活を続けていく。
ゴミの不法投棄のニュースはいずれも、犯人の逮捕まで報じていないのが、その証拠だ。
だから、僕は思うのだ。
世間で起こったどんな凶悪犯罪の犯人よりも、マナーの悪い人間のほうがたちが悪い、と。
なぜなら、生涯重ねた罪の重さを累計すれば、前者より後者のほうがより多くの罪を重ねる可能性を秘めているからだ。
例えば、罪を悪質さに応じて点数を振り分け、100点になったら、死刑もしくは無期懲役になるという司法制度があると仮定する。
そして、ある人が人1人を殺害し、被害者の持ち物から現金を奪い、被害者の自宅を放火した罪で、警察に逮捕され、起訴された。
仮に、殺人50点、強盗20点、放火30点、その他余罪が色々加わり、累計して150点になってしまった。
よって、被告は裁判官から死刑なり無期懲役なりの判決を下されるだろう。
被告の犯行は凶悪で、死刑もやむなしかもしれない。
しかし、彼は逮捕、起訴され、裁判にかけられて、もはや生きて娑婆で暮らせなくなったがゆえに、150点で済んだのだ。
それと引き換え、マナーの悪い人間というのは、どうだろうか?
ゴミをポイ捨てする。
行列に割り込む。
他人の傘をパクる。
喫煙所以外で煙草を吸う。
有料の駐輪場で、ロックをせずに、自転車を駐車する。
深夜のアパートの居室で、大声で立ち騒ぐ。
どれもこれも、人に迷惑をかけるが犯罪とは言えないもの、厳密に言えば犯罪であるが取り締まられないものばかりである。
しかし、それでも迷惑をかけているそのことだけでも、広い意味で罪と言える。
マナー違反は性質が軽微であるがゆえに、放火や強盗、殺人に匹敵する高得点とまではいかないものの、0.01点くらいはあるだろう。
全くの0点はあり得ない。
なので、軽微なマナー違反が日常的に繰り返されれば、その点数も年を追うごとに増えていく。
塵も積もれば山となる。
0.01点の迷惑行為を一日1回すれば、1年間で3.65点、10年間で36.5点、30年あれば109.5点となる。
ちょっとした迷惑行為でも、積もり積もれば、極刑に匹敵するほどの罪を背負うことになるのだ。
だが、100点のボーダーを共に越えたにもかかわらず、前述した殺人者は裁かれ、マナー違反者は楽しく愉快にその生涯を全うする。
その結果の差に、僕は胸くそ悪さを覚えるのだ。
こんなものは、公平ではない。
もちろん点数だの100点だのは、全くの空想で、僕の馬鹿馬鹿しい思いつきにすぎない。
実際の司法制度とは、刑罰の決まり方が大きく異なるだろう。
しかし、はっきり分かるのは、裁判所で判決を下されてはじめて背負わされるものだけが、罪ではないということだ。
たとえ、公衆の面前で裁かれなくても、誰も目撃してなくても、大したことなくても、悪気はなくても、良心はしっかりと見ている。
それでも平気な人がいる。
裁かれなくては、なんともないと思っている。
しかしながら、刑事罰を下されるのが分かりきっているにもかかわらず、犯罪を犯す人もいるという視点から考えると、マナー違反する人が現れるのも、当然なのかもしれない。
これはもう、防ぎようもない問題なのかもしれない。
かといって、考えることを放棄するわけにはいかない。
のんき者、タイヤ屋で働く
去年から、タイヤ屋をしている大学時代の友人に頼まれて、タイヤ交換のバイトをすることになった。
平日のライン作業が終われば、土曜日と日曜日はタイヤ屋で出稼ぎに行く。
拘束時間は9時から17時。
日給はそこそこいい。
ただ、頼まれると気前のいい返事をしてしまう僕の悪い癖のせいで、夜勤の週の時は日曜日、日勤の週の時は、土曜日と日曜日も出勤していた。
なので、本当に身体を休められる日というのは、平日に1日あるかないかの、有給休暇のみ。
稼げるのはいいけれど、身体が疲れるので難儀した。
結局、去年の冬タイヤの交換の時期は、合計6日間ほど働いた後、「1月にあるインドネシア語検定の勉強があるから」と言って、繁忙期の途中でバイトを断ってしまった。
タイヤ交換と聞いて、始めは難しそうに聞こえたが、慣れてしまえば、どの車でも大体やることは同じであることが分かってくる。
荷台から冬用タイヤを下ろす。
ジャッキで車を持ち上る。
ついているタイヤをインパクトで外す。
冬用のタイヤをインパクトでつける。
ジャッキを下ろす。
空気圧とボルトのトルクをチェックする。
外したタイヤを荷台に入れる。
どの車にも共通しているのは、以上の手順である。
ただ、車と言っても千差万別であって、軽自動車なら作業は楽なのだが、ミニバンやSUVやハイエース、ランドクルーザーみたいな大型車は、タイヤの重量が重いので、つらい作業となる。
世の中を走る車は全て、軽自動車になればいいのに。
そうすれば、しんどい思いをしなくてもすむのに。
重いタイヤを持ち上げたり下ろしたりするのに疲れてくると、そのような荒唐無稽な願望ばかりが、心の中で湧き出てくる。
また、車種によっては、前後とも一度ににジャッキをあげるのではなく、前輪の2つを交換した後、後輪の2つを交換する必要があったり、外車だとジャッキポイントが日本車とまるで異なることもある。
単なる「はめ替え」ではなくて、新品のタイヤを交換することもある。
タイヤがパンクしたので、1本だけ購入していくお客さんもいる。
やることは大体同じであるのは確かだが、車種によって一部の作業が大きく異なるのは、ライン作業と違うところだ。
ライン作業なら、やることは全く一緒であるので、身体が作業に慣れてしまえば、いちいち立ち止まって頭で作業手順を確認するということはない。
だから、ライン作業に慣れた身としては、タイヤ交換の作業というのは、数え切れないほどのパターンを覚えなければならない大変な仕事に思えるのだ。
時々、レクサスやベンツ、BMWなどの高級車も、当たり前のような顔をして来店する。
そういう時は、フッと目をそらし、あえて別の車のタイヤ交換を手伝いに行く。
たかが、アルバイトごときの僕にとって、高級車のタイヤ交換なんぞ、手に余る仕事である。
万が一のことがあった場合、とてもじゃないが責任のとれるものじゃない。
あんなもの、もしかしたら触って指紋をつけただけでも、訴えられるんじゃないか?
ああ、そう考えただけでも恐ろしい。
願わくば販売メーカーのディーラーで、交換しに行ってほしいものだ。
もっとわがままを言えば、僕が出勤している日に、来店しないでほしいものだ。
繁忙期は、恐ろしいほどお客さんが来る。
敷地いっぱいに、タイヤ交換の車が並び、さらに道路の路肩は、タイヤ交換を待つお客さんの車で行列ができる。
どれだけ捌いても、ひっきりなしにやってきて、行列はなかなか減らない。
あまりにも切りが無いので、うんざりしてしまうことも、しばしばである。
とにかく繁忙期は、まさに猫の手も借りたいほど忙しくなる。
本当に、目が回るほど忙しい。
そういうわけで、タイヤ交換のバイトに行く直前は、わりと気が重かったり憂鬱だったりする。
それでも、ひとたび出勤して一緒に働くお爺さん方に挨拶すれば、それだけでも、ずいぶん気が晴れるものである。
どの人も好々爺で、右も左も分からない僕に、親切に仕事を教えてくれる。
派遣先で不祥事があったときはしつこくからまれ、かなりいじられてしまったが、それでも和気藹々とした雰囲気の中、作業できているのがありがたい。
冬タイヤからノーマルタイヤに替える春の繁忙期は、7日間ほど働いた。
2シーズンを乗り越えると、さすがにタイヤ交換のバイトにも慣れてきた。
次のシーズンも頑張って、タイヤをハメハメしようと思う。
のんき者、インドネシアに行く 終
出発時刻の数十分前、搭乗開始の合図があったので、僕は自分の飛行機のボーディングブリッジをくぐり抜けた。
機内の一番左側にある自分の座席に座って、窓から真っ暗になった滑走路を覗き込む。
それから一息ついて、シートにもたれかかり、旅の余韻に浸っていた。
次々と飛行機に乗客が乗り込んでくる。
それぞれ楽しいひとときを、バリで過ごしてきたのだろう。
無論、僕よりリッチなリゾートを楽しんできたには違いないが。
そう思いながら、何気なく乗り込んでくる乗客の様子を眺めていた。
そのうち、僕の座っていた3列シートの、真ん中と右側の座席に、中国人の夫婦が座った。
ご主人は真ん中に、奥さんは右側に座った。
この夫婦の体型は対照的で、ご主人はやせっぽちなのだが、奥さんは丸々と肥え太っている。
そして、2人とも大声でしゃべりながら、天井部のトランクに荷物を収納したり、手荷物を整理したりしている。
ガー、ガーと、壊れたラジオのような彼らの声が本当にうるさく、おそらく客室の端から端まで、その声が響き渡っていただろう。
今思い出しても、ぞっとするような大声だった。
そして、不愉快にさせられたのは、それだけではなかった。
僕はチラリと彼らの荷物を見ると、大きなスポーツバックであった。
機内に持ち込めるのは、縦・横・幅の長さの合計が110cm以内に収まる荷物であるはずなのだが、彼らの持ち込んだ荷物は明らかに規則に違反している。
しかも、その鞄の中には2リットルのミネラルウォーターや菓子などが、たんまり入っていた。
彼らの規則を犯してまでわがままえを貫くその図々しさに、まず驚いた。
と同時に、疑問が湧いた。
どうやって、水や菓子を持ち込んで、保安検査を突破したというのか?
機内に液体を持ち込むためには、容量が100ml以内の容器に入れ、さらにその容器を透明のビニール袋(ジップロックなど)に入れなければならない。
なので、500mlの飲料用のペットボトルでさえも手荷物にあれば、保安検査で取り上げられるはずである。
にもかかわらず、彼らはそのルールを堂々と犯して、規則で定められた容量の20倍もする容器に、ミネラルウォーターを機内に持ち込んで飲んでいる。
もし、中国人の夫婦がテロリストで、持ち込んだ液体がガソリンだったら、僕は丸焦げになって、今頃はこの世にいないだろう。
それとも、保安検査のゲートから、搭乗口の待合室までのどこかで、ミネラルウォーターを販売している売店があったのだろうか?
待合室までの通路を思い出そうとしてみたが、はたしてそのような売店があったのかどうかは、全く分からなかった。
2リットルのミネラルウォーターの有無を意識して、待合室まで来たわけではないからだ。
当然のことであるが。
ご主人は時折座りながら後ろを振り向いて、そこに座っている人に怒鳴っていた。
おそらく後ろにいるのは、夫婦の子供達なのだろう。
ご主人と奥さんとは違って、子供達はごくごく普通に大人しく、静かにしていた。
ご主人と奥さんは怒りがこみ上げてくるくらいうるさかった。
しかし、この両者を比べると、奥さんのほうがたちが悪かった。
出発するまでの間、奥さんはご主人以上におしゃべりをし、わめきちらし、大人しく座っていることをまるで知らないようであった。
しかも、座席から立ち上がって、天井部のトランクにある荷物を漁るのだが、まるまる肥え太った巨体では自分の力では、もはや立ち上がることができず、前の座席の背もたれに手をかけて、立ち上がるのだ。
その時、前の座席の女性にちょっとした一言、つまり「すみません」や「ごめんなさい」というようなお詫びを述べていないのだ。
もちろん、前の座席にいた女性は、ただではすまないだろう。
ぶくぶくに太った奥さんが立ち上がるたびに、前の座席は激しく揺さぶられるのだから。
前の座席の女性(僕と同じ黄色人種であった)は何事も起こらなかったように涼しい顔をして背もたれに収まっていたが、内心でははなはな迷惑を感じていたことだろう。
飛行機が離陸するまでの、荷物を整理する慌ただしさの中で、3度ほど、僕はそのような光景を目撃した。
前の座席に座っていた女性が、恐ろしいほど大人しく寛容で、心が広かったから、騒動やトラブルになることがなかった。
しかし、まかり間違えば殴り合いの喧嘩に発展してもおかしくなかっただろう。
僕だって1度だけならいざ知らず、2度3度やられた日には、頭に血がのぼって、一言二言注意するだろう。
それだけのことを、あのデブの奥さんは平気な顔をして、しでかしていた。
それでは人に迷惑をかけてまで立ち上がり、荷物を漁るのは何のためであるかといえば、大したことではなくて、ただ単に持ち込んだお菓子を食べたくなったからなのだ。
まるまると肥え太り、ギャーギャーわめき散らし、お菓子をばりぼりと音を立てて食べている。
その姿はもはや豚そのものであった。
見た目だけでなく、心や行動そのものが豚そっくりだ。
人間ではない。
彼らがようやく大人しくなったのは、離陸直前、夫婦そろってスマホで映画を鑑賞しだした時だった。
離陸するときは電子機器の使用が厳禁であったはずなのだが、そんなことはおかまいなしだ。
イヤホンは外れていたので、誰もが静かにしている機内で、動画の音が響き渡る。
うるさいことには変わりないが、それでも、夫婦のおしゃべりと比べたら、はるかに静かであった。
この中国人家族のせいで、バリ島の余韻に満足にひたれることなく、それとは別のベクトルの方向へ思考を巡らしていた。
はたして、これが中国の国民性を代表する一例なのだろうか?
中国人の誰もが、人の目を気にせず、所構わず騒ぎ立てるのが好きな人種であるならば、中国から出発したり、逆に中国へ向かう飛行機の機内は、蜂の巣を突いたような大騒ぎとなるにちがいない。
しかし、中国人の全てがマナーの「マ」の字も知らない人種であろうか?
そもそも、僕と中国人との間で、マナーやモラルについて同じ認識を共有しているのかも、定かではない。
ただ、今僕が乗っているのは、日本の国内線ではなくて、国際線である。
国際線に搭乗しているのは、ありとあらゆる国からやってきた人であり、そしてざっと見回したところ、その大部分は静かに騒ぎ立てずに荷物の整理をしている。
こうして考えている間に、5、6列前方にいる白人の男性が、迷惑そうな顔をして、ちらりちらりと後ろを振り返って、こちらを見ている。
この中国人の夫婦の行為は、やはり迷惑で不快感を催すのは、僕だけではなかったというのは、この男性の様子からみてうかがい知れる。だが、しかし、ここに搭乗している中国人は、彼らだけなのか?
そんなはずはない。
ここから視界に入った限りでは、中国人と思しき人たちは、他にもいる。
しかし、彼らはいたって静かに座っている。
そもそも、中国人の夫婦の子供らは、親とは逆に大人しくしているのだ。
いや、大人しくしているというより、恥じ入っているのかもしれない。
彼らには自分の親がやっている素行を、冷静に見つめている。
周りに与えている迷惑を、きちんと理解している。
この旅行に限らず、これまで色んなところで恥ずかしい真似を繰り広げてきたに違いないが、親は忠告を聞いてくれなかったので、諦めて口を閉ざしているのかもしれない。
そうでなければ、つまり、子供も親の行為を肯定しているのなら、子供も一緒に大声で騒ぎまくっているだろう。
幼稚園児から小学生低学年くらいの年齢なら、親の後ろ姿を真似て、そうするかもしれない。
しかし、見た感じ、子供ら3人とも中学生から高校生くらいと見受けられた。
それくらいなら、周りをよく見て、どのように振る舞うべきか弁えつつある年齢である。
そして、自分の親の行いが、どれくらいひどいものなのか客観視できる年齢でもある。
あとでネットで調べてみたら、中国のデジタル・ネイティブ世代はSNSを通して、旅行で守るべきマナーを学んでいて、他の世代以上にモラル意識が高いというネットの記事を見つけた。
ただ、自分たちの注意や忠告が、どうしても親には届かないので、すっかり匙を投げているのだろう。
実際に聞いたわけではないから分からないけど、この夫婦と子供らの間には、このような背景があったのではないかと、勝手に想像する。
とりあえず、この大騒ぎを繰り広げている中国人の夫婦は、中国においても稀なのであるのだろう。
そういう人なら、日本にもいる。
マナーやモラルのなっていない人は、ごくごく少数ながら、日本にもいる。
だが、彼らは日本人の代表例ではない。
作務衣を普段着にしていた僕のように、稀な存在だ。
つまり、この広い機内の中で、めったにいない素行の悪い中国人の旅行客と、隣同士になってしまったというわけだ。
確率1%にも満たない「はずれ」を引いてしまったのだ。
おかげで、旅行の余韻は台無しだ。
不幸中の幸いなのは、この飛行機の目的地はチャンギ国際空港で、搭乗時間は2時間35分と短いことだ。
これがチャンギ国際空港から関西国際空港までの空路のことだとしたら、まさに悲惨だ。
飛行機は空高く舞い、機体は左方向に旋回した。
その時、バリ島の全体の輪郭が浮き彫りになった。
都市部のリゾート地は、黄色い光が集中し、中部や北部の地方は、街の光は点々とあるのみで、ほとんどが黒く覆われていた。
22時40分頃、チャンギ国際空港に着陸した。
着陸直前、隣に座っていた中国人のご主人は、客室乗務員に再三手荷物を前の座席の下に入れてくださいと注意されていたにもかかわらず、頑なに言いつけを守らず、鞄を足下に置き続けた。
離陸から着陸までとことん鬱陶しい思いをさせられた中国人であった。それから約15時間後、8月17日14時頃、僕を乗せたスクート航空TR818便は、無事に関西国際空港の滑走路に降り立った。
空はどんよりと曇っていて、つい先ほどまで雨が降っていたのか、滑走路は濡れていて、ところどころ水たまりができていた。
しかしながら、僕の心は晴れ晴れとしていた。
ささやかな挨拶から始まった海外旅行。
始めはインドネシア人実習生と2人で行くつもりだったのに、音信不通になって、結局は単独でインドネシアに乗り込むことになった。
パスポートの発行やら荷造りやら飛行機の乗り方やら、生まれて初めてのことが山積みであった。
そのうえ、現地では日本語が全く通じないし、通訳もいないし、そのうえ僕は英語ができない。
スマホの翻訳アプリと、片言のインドネシア語だけを武器にして、コミュニケーションを取るしかなかった。
生きて帰れれば、それでよし。
それ以上は何も望んでいなかったが、旅から帰れば、予想以上にたくさんの思い出を作ることができてしまっていた。
そして、もちろん、ケガや病気になることはなく、盗難にもスリにも遭わなかった(とはいうものの、帰国後1週間ぐらいは下痢に悩まされ、正露丸が手放せなかった)。
五体満足で帰れた上に思い出をたくさん作れたので、初めての海外旅行にしては、大成功だったと自負してもいいだろう。
また機会があれば、インドネシアに行ってみたいものだ。
今度はもっとお金を貯めて、ロスメンより少し上等の、お湯が出るシャワーのある部屋のホテルに止まりたい。
翌年4月下旬、僕はインドネシア人技能実習生ら2人と、バリ島料理の店に足を運んだ。
派遣先で働いているインドネシア人を、お昼ご飯に誘ってみたら、喜んでついてきてくれたのだ。
バリ島料理店は大繁盛で、お客さんがいっぱい来ていた。
幸いテーブルが1つ空いていたので、僕ら3人はそこに座った。
注文を済ませ、料理が来る間、僕らは仕事や日本語のことについて、翻訳アプリや、片言のインドネシア語を使っておしゃべりをした。
「ぜひインドネシアに来て下さい。そして、バリで会いましょう」
技能実習生の1人が言った。
「いやいや、僕が君のふるさとに行くよ。場所はどこ?」
そう言って、僕はメモ帳とペンを差し出した。
彼はいそいそとメモ帳に、ふるさとの街の名前を書いていった。
『cirebon Indonesia jawa barat』
西ジャワ地方の、チルボンという街が、彼のふるだとであった。
「分かった。今年は休業ばかりでお金が少なかったからできないけど、来年の夏に行く。その時連絡するよ!」
というわけで、来年の夏期休暇にインドネシアに向かうべく、僕は再び動き出した。
まずは、お金を貯めなくては!