とりとめのないことども 15

とにかく、僕の生活は慌ただしくなった。
かといって、ブログも読書も諦めたくなかった。
ブログを更新せずに放置したり、買った本を部屋の隅に積んだままにしておくことは、僕の信条からすれば、恥ずべき断念でしかなかった。
というふうに、言うことや考えることだけは気炎万丈で結構なことだが、「言うは易く行うは難し」というやつで、なかなか実行に移すことができないでいるというのが現状で、己の怠惰にもがき苦しむ日々を送っている。
そんな折、京都に住んでいた時代をついつい懐かしんでしまう。
どうして、あのときはあれだけ書ける時間があったのだろう。
私設図書館で、喫茶店で、自宅の木造アパートで。
万年筆と紙で、ポメラで、パソコンで、他に興味が無いのかと驚かれるくらいに書いてきた。
まあ、実際のところ、他に興味がなかったのだろう。
金は全くなかったけど、社会人になってからの生活を振り返ると、あの頃が一番楽しかった。
それと比べると、収入は増えたものの、今の生活というものは無味乾燥としている。
あの頃は生きるに値するものを確かに感じ取れていたが、今の生活には同じような生き生きとしたものはもはや存在しない。
一口に言えば、面白くもない生活を送っているというわけだ。
現状、本腰入れてブログの執筆に取りかかれる機会は、年に3回、GWと夏期休暇と冬期休暇のみとなった。
そのうち、夏期休暇はインドネシアへの一人旅が、もしかしたら、恒例となるかもしれないので、GWと冬期休暇の年2回に減るかもしれない。
そして、9月は文学フリマ大阪が開催され、それまでに書き下ろし原稿を執筆しなければならないとなると、GWの9日間は自室にこもりっぱなしとなり、人と会う時間も惜しいほどになるやもしれん。
そして、先週はその大事な大事な冬期休暇であった。
前もって決められていた、古い友人に会ったり、インドネシア人の技能実習生を侍体験ツアーに連れて行ったり、母親の家に行ったりする
日を除けば、残された「オレだけの時間」は9日間の休暇のうち、たったの3日間である。
部屋の床は2週間分の埃がつもっており、冷蔵庫の中身は空っぽだ。
だけども、掃除や買い物に時間を使うのが、非常に惜しい。
意識を一点集中させて、執筆に全ての時間を注ぐべきである。
と思っていたのに、予定を全て消化させたあと、僕は流行りの病気に倒れてしまった。
インフルエンザA型である。
高熱にうなされ、倦怠感が重く身体にのしかかる。
ベットの上で倒れていることしかできず、水分補給と栄養補給が大事と知りながらも、食事はおろか、コップ1杯の水を飲み、トイレに行くために立ち上がることすらままならなかった。
しかし、倒れているだけではどうにもならないので、症状が現れだしたその翌日、病院に行き、インフルエンザと診断され、薬を処方してもらった。
さらにその翌日、薬のおかげで熱は引いたものの、倦怠感だけはすさまじく、寝ているほか何もできなかった
こうして、僕の時間は想定外のインフルエンザの療養のために、あてられてしまった。
インフルエンザにかかったので、1月8日は仕事を休んでいいことになった(1月6日と7日は自宅待機期間、8日はもともと有給休暇の日であった)。
自分の時間が延長されたのはよかったものの、インフルエンザに冒された身体では、読書や執筆、勉強など、集中力を用いる作業には取りかかれなかった。
そうして、うだうだと自宅でのたうち回っているうちに、冬期休暇が終わった。
執筆の再開だけでなく、習慣となりつつあったインドネシア語の勉強もランニングさえも、中断を余儀なくされた。
ただ寝るしかできなかった。
成すべきことを何も成せなかった、残念な冬期休暇となってしまった。
今の派遣先の仕事も、すでに7年目である。
この事実を前にすると、まず始めに時の流れの早さに圧倒されてしまう。
次に、これほど長く1つの職場に居続けられた事実に、我ながら驚かされてしまう。
工場で働く派遣社員になる前までの僕の職歴というのは、とにかくひどいもので、転職に次ぐ転職で、市販の履歴書では職歴の全てを埋め切れないほどなのだ。
長くて1年と2カ月、短くて2カ月しか、1つの職場に勤められなかった。
こう書いてしまうと、僕の人格に他人と宥和し、社会に適合することを拒絶してしまうような、何かしらの問題があるように思われるかもしれないが、そんなことはないとまずはこの場で否定しておこう。
職場での人付き合いは、「おおむね」良好であった。
どこに行っても、どんな人に会っても、「大体において」円満な関係を築くことができた。
おそらくこの世に誕生してから僕の中に具わっていた天性のものが、職場において十全に発揮されたのだろう。
恋人といった深い気持ちのつながりを必要とする関係を築くには不利な、職場のようなビジネスライクな付き合いが求められる場所では、その特徴がプラスに働いた。
数少ないトラブルの事例を振り返ると、「大抵」職場に労働環境上の問題があった。
新卒で入社した会社しかり、タクシー会社しかり、西陣織の工場しかり、である。
そういうわけで、僕の人格が矯正しがたいほど屈折しているために、行く先々で居場所を追いやられてきたわけではなく、ただ、拠ん所ない事情が我が身に降りかかったがために、職を転々とせざるをえなかったのだ。
そうして、その果てしない転職街道を突っ走ってきたのだが、その中、自分自身の性質について分かってきたことがある。
僕には正社員という雇用形態は向いていない、ということだ。
これは能力や適性云々に不適格の原因が決して求められるものではない。
アルバイトやフリーターで働いているうちは何事もなく、順風に乗って、穏やかな生活を送れていたのが、いざ社会的地位の向上を目指して、正社員の職に就いた途端、突如として風向きが逆風へと変わり、生活がうまくいかなくなってしまうのだ。
賃貸アパートの不動産の営業職では、事務所内の静かでぴりついた雰囲気に耐えられず2カ月で辞めた。
タクシー会社では法を無視した長すぎる拘束時間に、不規則な生活リズムに精神に不調をきたした末に、試用期間の終了間際に解雇された。西陣織の工場では、些細なことで社長夫人の怒りを買い、3カ月後にはクビを切られた。
新卒で入社した会社については、説明不要である。
数十万円の借金を作ってしまったのも、バイトを辞めて就職活動に専念するためだ(就職活動する直前まで働いていたバイトは、デバックの仕事で、月~金曜日までの週5日勤務で、シフトの融通は利かせられなかったので、一旦退職しなければならなかった)。
こうして、自分史を紡いでいくと、生活が傾いたあれこれの不幸は全て「正社員になろうとしたから」に収斂する。
収入を増やして生活の向上を意図した行動が、僕の場合に限って、全て裏目になってしまうのだ。
もはやジンクスといってもいい。
なぜそうなるかは分からない。
とにかく、「神の見えざる手」というものが、僕がいっぱしの背広を着るような仕事を目指そうとするのを阻んでいるとしか説明できない出来事が起こっている。
「天は二物を与えず」ともいう。
天は尋常の人以上に自分自身を物語る能力を恵んで下さったが、その代わりに人並みの生活を営めないように、僕を運命づけたのかもしれない。
そうして、紆余曲折の末に辿り着いたのが、今の工場である。
勤め始めた当初は、長居するつもりはなかった。
拘束時間は長くて、自分の時間がとれない。
社員寮は工場の隣で近いけど、周囲は田んぼしかないし、風呂やトイレで出くわす他の寮生の存在は非常に不愉快。
1週間ごとに入れ替わる生活リズムで、思考し、集中する能力が失われていく。
勤め始めて数カ月は、そうした職場にまつわる不快な点に目をつむることができず、ストレスのはけ口をパチンコに求めるほかなく、結果として金はなかなか貯められなかった。
そうした嫌なことを我慢して働き続けたのは、借金がいわば足枷となって、否応なしに僕を工場に縛り付けていたからである。
そんな重い枷がなければ、いつものように、すぐに辞めていたであろう。
だから、長くても3年、3年のうちに借金を返して、貯金して、山の中で暮らそう。
そう思い詰めているうちに、気づいたら7年目である。
7年も同じところで働いていると、さすがにいろんなものに慣れてくる。
工場に着けば、昨日と全く同じ今日を生き、工場から家に帰れば、今日と全く同じ明日に備えて眠りにつく。
まさに金太郎飴のような味気ない毎日を、脳死状態で過ごしている。
ただ、前々から薄々感づいていたことだが、僕に求められる工場の主な仕事、つまりライン作業に、やはり僕は適性があるようだ。
ひたすら同じ作業を毎分ごとに、1日8時間(派遣先で全国を騒がせたスキャンダルが表沙汰になって以来、生産台数が減って残業がなくなった)、週に5日繰り返しても、そのことが全く苦にならない。
与えられた仕事に対する能力さえあれば、いつまでも涼しい顔でいられる。
部署によっては、一日中腰をかがめたり、手首を妙な具合で捻らないといけないために、腰痛になったり、腱鞘炎になったりする。
だが、幸いなことに僕の持ち場は、特に身体の節々を痛めることはない。
それに、どこの職場でもありがちな人間関係の悩みというのは、ほとんどない。
ライン作業というは自己完結していて、人と関わる機会がほとんど無いからだ。
だから、たとえ気に食わない人がいたとしても、衝突することなく、黙々と作業に集中できることができるので、気楽である。
それに派遣社員は、職場においては一番の下っ端の、底辺である。
だから、底辺は底辺らしく身分相応に、正社員の指示に対して逆らわず、我を出さず、素直に従ってさえおれば、それだけで問題なく職場に溶け込める。
そんな具合で、この仕事がこれまでの職歴の中で、一番「天職」に近づいていると言えるだろう。
他人からしたら、どうしてそんなつまらない仕事をと思うかもしれない。
だが、これはあくまで持論であるが、仕事というのは退屈でつまらないくらいがちょうどいいのだ。
まず前提としてあるのは、仕事というのは生活するためにやむなくするものである、ということだ。
所詮は、生活の糧を得る目的で経済力を身につけるために嫌々するものであり、宝くじが当たったり、莫大な遺産を相続したり、投資に成功したりして、一生働かずに済む金を得られれば、一生働かずに生きるに越したことはない。
だから、生きるために人生の大半の時間を割いて働かされている、この時点ですでに、人生における大きな損失を食らっているのだ。
僕の場合だと、労働時間に通勤時間も含めると、1日あたりの拘束時間は12時間である。
朝6時45分に家を出て、午後18時45分に家に帰る。
味気ない仕事のために、僕は一日の半分の時間を割いている。
もしこの時間の幾ばくかを、他の営みに回すことができるのであれば、趣味や勉強や運動などにもっと割り当てることができれば、人生はもっと充実したものになるにちがいないだろう。
だが、今の現状においては、嫌々ながらもこの生活に甘んじるほかない。
たとえ、この工場生活が嫌になって転職しようにも、そこで僕の意に適う生活が営めるとは限らない。
自由の身になった解放感は束の間に過ぎて、家賃やら国民健康保険料やら住民税やら、諸々の支払いが重荷となった末に、意に反して僕は再び労働にその身を捧げる羽目になるだろう。
どうしても、労働時間を減らしたかったら、生活から快適さを削ぎ落として、週3日か4日だけ働くフリーターになるしかない。
僕の乏しい人生経験では、今のところそれしか思いつかない。
だが、大事だ大事だと声高に叫んでいる時間のために、そこまで思い切った選択をすることは躊躇われる。
以前ほど、僕は安全を振り捨てることができなくなった。
以上述べたように、職に就いたその時点で、自分の貴重な時間を失ってしまうので、その時点でマイナスなのだ。
しかし、その損失は生活していくために必要な損失なので、甘んじて引き受けるしかない。
なので、僕にできることは、損失を必要以上に増やさないことである。
そのためには、まず自分の能力に見合う仕事(自分にできる仕事)をすること、仕事に対して面白みややりがいを求めないこと(どんな仕事もつまらないと割り切ること)、そして、なるたけ人とかかわる仕事に就かないこと、この3点である。
僕の狭い見識からしか判断できないので申し訳ないが、多くの人は仕事を選ぶにあたって、世間体や体裁を気にするあまり、Yシャツを着て首にネクタイを締める仕事ばかりに応募しているように思われる。
大学を卒業した人などは、特にその傾向が顕著である。
なので、ホワイトカラーの職を目指して、本来なら黙々と作業に集中することが向いている人が、コミュニケーション能力の無さに悩んで打ちひしがれたり、外に出て体を動かすのが好きな人が、一日中オフィスの自分のデスクに座って、パソコンのキーボードをカタカタ打ち鳴らすのだ。
とはいうものの、世の中を虚心坦懐に見渡せば、社会人というのは、なにも「背広組」だけではない。
都会にも田舎にも、昼にも夜にも、上にも下にも、ホワイトカラーの人に交じって、ブルーカラーの人も逍遙している。
彼らは実に体を使って、文字通り「身を粉にして」、生活の糧を稼いでいる(僕もその一人である)。
彼らも社会の存続には必要である。
そして、横文字のカタカナばかり並べるばかりで、何を生業としているのか判然としないサービス業より、毎日現場に出て汗を流してインフラの整備や土木工事に従事している人のほうが、どれだけ尊いかもしれない。
大学といえば東京帝国大学の1校しかなかった明治時代と違って、雨後の筍のように大学が新設され、今や4人に1人が大卒者となるまで数が増えてきた令和の世にあっては、その全員がホワイトカラーの職にありつくのは、無理がある。
なので、早々のうちに見栄を捨て、「大卒=ホワイトカラー」という偏見も振り捨て、ブルーカラーの職業という選択肢も考慮に入れ、本当に自分の能力に向いている仕事について熟考できれば、就職活動の苦労も減るのかもしれない。
しかしながら、働きたい条件から「やりたい仕事」は外すべきである。
そんなものは、めったに世の中に転がっているものではない。
それにやりたい仕事を見つけたと始めは思っていても、次第につらくなり、やりたくなくなるのが人の性である。
だから、やりたい仕事はハナから存在しないと割り切ったほうがいい。
それより、「できそうな仕事」を求める条件の中心に据えた方がいい。
「自分にもやれそうかな」と思った仕事であれば、適正・能力と実際の仕事の難易度が噛み合っているので、周囲から求められる成果を出しやすい。
成果を出せば、周りの人からも認められる。
周りの人からも認められれば、自信や自己肯定感も増す。
自信がつけば、さらに次の仕事でも成果を出しやすい。
こうして、好循環が生まれる。
「つまらない仕事だと思っていたが、こういうのも悪くない」と思えるようになる。
しかし、社会に出る前から外聞や体裁を気にするあまり、「やりたい仕事」という幻想を追い求めつづけ、就職先の選り好みを繰り返した末に、自分の幻想を満たせない会社に入って幻滅し、早々と退職するのだ。
「やりたいことをする」という自己実現の欲求は、たった1回限りの人生をいかに充実させるかという観点を踏まえると、死ぬまで持ち続けなければならない大切な欲求である。
しかし、それを仕事に求めてしまうと、つらい人生の道のりを歩むことになるのは、覚悟しなければならないだろう。
だから、そんな「狭き門」を目指すより、仕事というのはあくまで食っていくためだと割り切り、本当の自己実現を仕事以外の場所に求めた方が、妥当である。
さらに、仕事を選ぶ条件として、なるべく関わらなければならない人は少なければ少ないほうがいいというのが、僕の経験則である。
快適な人生を送る上で大切なのは何かというと、それは金でもなく、地位もなく、人間関係だと、僕は思う。
大学を卒業してから十数年間生きてきて分かったこと、それは、生活が貧窮しても耐えられるし、新聞配達やラブホテルの清掃のバイトをしていることを公言しても何とも思わないけれども、嫌いな人間と一緒に働くことは耐えられない、ということだ。
本当にこれだけはどれだけ生きても慣れない。
何事においても、わりかし自分の欲望の赴くままに、後先考えずに、衝動的に考えてきた僕でさえも、人間関係のトラブルを避けることについては用心に用心を重ね、慎重に行動してきた。
不愉快な人の記憶は、いつまでたっても頭の中にこびりついて離れなず、心の傷は癒やしがたい。
なぜか?
おそらく、嫌な人間というのは、どうあがいても僕好みの人間に変身する望みはないからだ。
そして解決策を求めるとすれば、職場からその人を追放するか、自分が立ち去るか、そのどちらかしかなくなる。
書店で人間関係に関する本を紐解けば、アンガーマネジメントだの、その人の長所を探してみるだの、いろいろテクニックが書かれているが、そんなものは全て付け焼き刃だと思う。
僕自身、苦しくなった時、そういった本を藁にもすがる思いで読みふけったことがある。
だが、一番の救済策は、なんらかの事情でその人が職場を退職したり、僕自身が辞めたりするなどして、とにもかくにも、関係が切れることであった。
巷には人間関係のトラブルを避けるべく、様々な弥縫策が転がっているが、結局はこういった分かりやすくてシンプルな方法が、一番効果があるらしい。
とはいうものの、どうしても嫌な奴というのは一定の割合でいる。
それだけは避けがたい厳然たる現実である。
なので、嫌いな奴とエンカウントするリスクを少しでも減らすためには関わる人間の母数を少なくするしかない。
例えば、嫌な奴というのは関わる人間のうち1割の確率で存在すると仮定する。
そうすると、1日で100人の人間と相対せねばならない人は、10人前後の嫌な奴とエンカウントしてしまう。
だが、たった10人であれば、嫌な奴は1人となる。
前者も後者も割合でいえば、同じ1割である。
しかし、1割は1割でも、前者と後者では実数が異なる。
前者は毎日10人の嫌な奴を相手にする一方、後者はたった1人だけである。
前者は後者の10倍もの人数の嫌な奴と関わるのだ。
これは、好きな人や好きでも嫌いでもない人も同様に10倍いるとしても、その人数を以てしても、10人の嫌いな奴を相手にする苦痛を癒やすことはできない。
好きな人や好きでも嫌いでもない人との関わりは、心の表面を心地よく撫でつけるだけで、その後、何の痕跡も残さないが、嫌いな人との交わりは、心に深く傷をつけ、その痛みは永久に続くからだ。
なので、嫌な奴の実数が増えれば増えるほど、傷は増え、苦痛は増す。
90人の味方がいたとしても、この苦痛はどうすることもできない。

それゆえ、確実に嫌な奴から被る被害を食い止めるためには、人と関わる仕事は避けて、関わる人数の母数を少なくしておくに限るのだ。
人と関わる仕事は、日常を地獄に変えうる。
仕事で人と関わっている限り、心安らかなる太平な日々は訪れない。
訪れたと思ってもそれは一時のこと。
すぐさま、反りの合わない人が目の前に現れて、僕の頭を痛めることになる。
その点を念頭に置くと、まず接客や営業、外食の仕事は候補から外さなければならない。
どうしても接客をしなければならないとしたら、なるたけ客層が限られた小売店の店員がいいだろう。
コンビニやファミレス、レジャーランド、ド○○○ーテというスポットは、灯火に引き寄せられる羽虫のように、常識のない頭のいかれた人間がひっきりなしに現れる場所なので、カスタマーハラスメントのリスクが大である。
それと比べると、これは僕の経験則なのであるが、同人誌やラノベやアニメグッズを販売する店は働きやすかった。
今は知らないが、僕がアルバイトをしていた2011年当時は、大半は男性の若者で穏やかな気質の人たちばかりなので、非常に接客がしやすかった。
少なくとも、僕が働いていた十数ヶ月の間、客とのトラブルに出くわしたことは一度もない。
あとは、J○○G○Aなどの楽器専門店や、○善などの大型書店も、頭のおかしくて話の通じない人とエンカウントするリスクは皆無だろう。
理由は至ってシンプルで、頭のおかしい人間には楽器が弾けないし、本も読めないからだ。
彼らはとにかく教養や文化、学問といった方面には全く通じていない。
彼らは人が多く集まり、分かりやすくて、手間をかけずに快楽が得られるものを求める傾向がある。
だからこそ、U○Jやデ○○ニーのようなレジャーランド、居酒屋やカラオケ、コンビニやファミレスによく出没するが、書店や図書館や美術館にはまるっきり姿を現さない。
彼らからすれば、書店や図書館や美術館は、頭は使うし、退屈だし、面白くないからだ。
一種の偏見かもしれないが、僕はこれについてはかなり蓋然性は高いと自信を持って言える。
満員のファミレスに入れば、馬鹿騒ぎしているヤンキーが1組か2組見受けられるものである。
しかし、僕は十数年、ことある毎に書店に足を運んだが、店員に怒鳴り散らしたり、大きな声を上げている迷惑な客は、1人も見かけたことがないのだ。
だから、小売店に限定しつつ、変な客とのトラブルを可能な限り避けたいのであれば、僕はコンビニではなく、書店のアルバイトに応募するだろう。
あと、教師や講師、コーチといった、何らかの指導的立場に立たなければならない仕事もやらないほうが無難である。
これらはいずれも不特定多数に対して、指導や教育といった独特な形で、否が応でもコミュニケーションを取らなければならない。
そして、その不特定多数というのは全員、善意の持ち主ではない。
学校の教師に至っては、厳しく叱れないがために、生徒の取り扱いに困り果て、挙げ句の果てには学級崩壊に至るという話をよく耳にする。
また、子が子なら親も親で、問題児の親はたいていモンスターペアレントであり、教師を責める態度は熾烈を極めるという。
しかも、良くも悪くも1年ごとにクラスが替わる。
よしんば、問題なく受け持つことのできたクラスであっても、次のクラス替えで問題児のいるクラスになるかもしれない。
そうなれば、次の年度になるまで、穏やかに仕事することなど無理だろう。
自分の能力に見合い、面白みややりがいを求めず、なるたけ人とかかわる仕事に就かないこと。
この3点に気をつけてたどり着いた先が、工場で働く派遣社員という身分であった。
もうすぐ8年目。
この仕事が恐ろしいほど性が合っている。